ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D52 136

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年8月11日 五稜郭機関区

画像では分かり辛いかもしれませんが、密閉キャブ仕様です。またキャブ前窓は左右とも旋回窓になっています。

フロントステップの第一踏段が幅広です。積雪時への対応でしょうかね。

「架線注意」札は貼られていますが、補助灯はありません。苗穂工場で検査を受けるため電化区間に出る(無火回送される)ことはありますが、電化区間での運用はないため、タマ切れの際に電球交換作業で感電することはないので補助灯は必要ありません。他の形式は転配により非電化区間から電化区間へ運用が変わることがあっても、D52は軸重が重く他の線区へ転用されることはないので補助灯不要という、ファンにしてみれば嬉しい結果となっています。

公式側は除煙板の陰になって確認できませんが、非公式側の側面には3番目の砂撒き管付近に短めの梯子が確認できます。これはかつて、吹田機関区時代に集煙装置を搭載していた時の名残です。吹田機関区所属のD52は米原~姫路間の運用を担っており、集煙装置はその区間にある断面が小さめな東山トンネルと逢坂山トンネルに対する措置でした。集煙装置を搭載するに際し、ドーム前の踏み台やその付近の踏段が邪魔になるため撤去され、その代わりに梯子が設けられたということです。集煙装置撤去後は踏み台も踏段も復元されましたが、梯子はそのまま残された次第。

 

昭和43(1968)年12月26日 森駅

前照灯を点灯して森駅に到着する下り貨物列車。

D52の数ある特徴のひとつとして主連棒のビッグエンド(第三主動輪との接合部)の形状があります。戦時型機関車ということで軽量化された丸型を採用しましたが(過去記事である70号機の横画像参照)、136号機では一般の角型(D51 1153号機の横画像などを参照)に交換されており、D52では非常に数少ない例です。(D62は全機、角型を採用。)

廃車後は沼津市で保存されており、北海道機としての特徴ある136号機の姿を今でも見られるのは嬉しい限りです。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D52/D52136