ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D52 236

田中 泰三様と’撮り人不明’様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和41(1966)年7月13日 国府津機関区

沼津区と国府津区で半生ずつを生きた機関車。

煙室戸が少し開いていますが、どんな状況なのでしょう。検査するには不適切な場所のように見えるし。

缶胴付の長手方向に伸びる手摺は、戦時型時代と変わらず前半分しかありません。

国府津区D52は大宮工場で整備を受けていると思うのですが、車歴表では浜松工場となっています。しかし煙室戸の十字ハンドルはガチ大宮工場っぽいですね。バック運転対応による砂撒き管の配置、原設計通りの非公式側に設置された泥溜め(70号機の記事写真で確認できます)、角にアールのついた除煙板の点検口など、国府津区所属機らしいディテールが確認できます。油ポンプ箱は非公式側の他に公式側にも設置されています。

 

昭和43(1968)年6月30日 国府津機関区

御殿場線D52の最終日。後部標識灯は外され、すでに休車となっている236号機ですが、「C62 49」とは・・・せめて「C62 50」にしてくれなくちゃ。

炭水車の前照灯はLP42。

客車牽引の運用もあったので、炭水車背面右側ステップには蒸気管の固定金具があります。

1番違いの兄弟機235号機と比べると、配置された機関区により手の加えられ方の違いがよく分かります。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D52/D52236