ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D52 403

田中 泰三様と’撮り人不明’様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年3月19日 国府津機関区

煙室戸蝶番の腕には補強のリブがありません。あったりなかったり、リブの長さもマチマチだったり、その違いは何なのでしょう。御殿場線のD52はリブ無しが多いです。

 

 

昭和43(1968)年6月2日 大岡~沼津

旅客列車牽引はD52には力を持てあます仕業。架線下であってもファンには喜ばしい運用。前端梁の濃淡は何なのかな。

橋梁の退避台、随分多いように思います。思わずそこでカメラを構えたくなりますが、D52が通過する時には揺れが半端ないでしょう。

 

すでに火を落としてように見えます。でも番号板や煙室戸ハンドルは磨かれているようです。

番号板下のボルトは、タブレットキャッチャー固定用のボルト孔を塞いだものだと思います。タブレットキャッチャー装備のD52はまだ見たことがありません。大幹線での運用だったので、タブレット閉塞区間なんてそうそう走ってはいませんから。C62は山線を走っていたのでタブレットキャッチャーを装備していましたが、戦時中~終戦直後の北海道のD52ならきっと装備していたでしょうね。403号機はどこの運用でタブレットを授受していたのでしょう。

昭和43(1968)年6月30日 国府津機関区

炭水車はメカニカルストーカー装備により、12-25形式から10-22AS形式に変更されました。国府津機関区の扇形車庫も、その形態からファンには人気がありました。特徴ある丸窓が下端部だけチロッと写っています。

403号機は廃車後、平塚市に保存されています。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D52/D52403