ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D52 115

matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。

昭和41(1966)年4月12日 柳井機関区

ドーム前手摺の形状、エプロンの形状と埋め込み式後部標識灯で広島工場担当機であることが一目瞭然。解放テコの取っ手が、左右のフロントステップ間に収まっているのも広島工場によるものかと。

煙室戸には「吐出ノズル 汚損」と記してあります。吐出ノズルは、シリンダで使用した排蒸気を煙突に向けて噴射するノズルです。この排蒸気の流れを利用して、煙管を通ってきた煙や燃焼ガスを煙突に排出します(誘引通風)。しかし停車中や惰行運転時には排蒸気の吐出は途絶えるため、キャブ内の蒸気分配箱から吐出口に設置された通風器へ蒸気を送り、同様の空気の流れを作ります。それにしても吐出ノズルが汚損するとはどういう状態なのでしょう。シンダで真っ黒黒介になっちまったのでしょうか。

 

昭和42(1967)年2月9日 柳井機関区

通風器へ蒸気を送る「通風器用蒸気配管」は缶胴サイドには長手方向に並ぶ3本の「棒」のうち、一番上の砂撒き管の箇所で屈曲しているものです。ちょっと分かり辛いですが。熱を持つので、布を巻いています。

ドーム後方に斜めに取り付けられている汽笛。C62も同様に斜めに設置されていますが、D52は動輪が小さい分、C62よりもボイラ中心高さが低くなっており、そのためドームはC62よりも背高とし、また汽笛の斜め角度もC62よりも緩くなっているそうなのですが、一見しただけでは分かりません。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D52/D52115