ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D60 25

SAMPUKU爺様と’撮り人不明’様の画像につき、転載はご遠慮ください。

D60 25は元D50 289

D50 289の車歴は↓こちら。D50 289に旧機番は無し。

http://d51498.com/db/D50/D50289

昭和42(1967)年6月8日 原田駅

原田(はるだ)駅ってどこだ?ん~鹿児島本線の駅で、筑豊本線の起点・終点駅なんですね。背景に山が見えないことから、列車は原田始発で間違いないと思いますが、客車列車には若松行きの他に折尾から鹿児島本線に入る門司港行きの列車もあったんですね。D60とC55による重連とは、ん~痺れる。回送なんでしょうかね。前回の記事で触れた汽笛の位置がはっきり確認できます。

ネットには飯塚駅から下り急行「天草」を逆向きで後押しする画像があがっています。

 

昭和43(1968)年2月21日 直方機関区

ちょっとした吹雪に見舞われているようです。東北かと思っちゃいました。

化粧煙突は継ぎ足されています。どんな効果があるのでしょう。通風が良くなるのかな?

 

給炭中です。本当に蒸機は人出が掛かります。

前端梁にはスノープラウを固定するボルト孔はありません。D50時代も関西での運用だったので当然ですね。

砂箱のドームは丸味の少ないタイプで、これは汽車會社製の特徴。C62でも汽車會社製のものはドーム形状が独特でしたね。

 

79600は初見でした。いずれ記事をアップできるでしょうか。煙室戸ハンドル横の「引っ掛け」がチャーミングです。D50 289号機の5年先輩になります。

D50の出力は9600の1.5倍と云われており、D60はD50と同等のパワーを持ちます。従台車を1軸から2軸にしたことで動輪の軸重が軽くなり、そのままだと空転しやすくなったり牽引力が落ちたりするものですが、シリンダー径を20mm小さくしたり過熱伝熱面積を大きくするなどしてパワーを確保しています・・・とは書籍の受け売りで、その原理や理由はさっぱり分かりません。

昭和45(1970)年9月1日 直方機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D60/D6025