matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。
昭和41(1966)年7月13日 柳井機関区
広島工場担当機の特徴が見られます。
解放テコは両端の取っ手に屈曲部がないなど、D52ではたまに見られる簡易型的な造りです。
ボイラ長手方向に伸びる3本の「棒」は、上から通風器用蒸気配管、手摺(足載せ)、電線管。通風器用蒸気配管はボイラケーシングの中に収める場合もあるようです。
ドーム側面の2カ所の手摺は、前後で随分大きさが違います。
前端梁の幅が全幅よりも狭いのは、曲線区間における車両限界をクリアするためでしょうか。D50やD51でそんな話を書籍で読んだ覚えがあります。でも勘違いかも。
昭和42(1967)年11月29日 柳井機関区
1年後の姿ですが、特に変化は見当たりません。
連結器のストッパーが中途半端な位置で落とし込まれているのが気になります。
D52では火室の前方に燃焼室を設けたため、ボイラが前方へ突き出る格好となり、そのため煙突がシリンダよりも前に出ています。ただし煙管長さをD51などの5500mmに対して5000mmへ短くするなどして、軸重配分を考慮したボイラ長としています。燃焼室は石炭の完全燃焼を促進し、伝熱効率を上げるためのものですが、保守的に困難な構造であるということから一部の輸入機関車では採用されていたものの国鉄は頑なに採用してきませんでした。しかし最強な機関車を製造するためには欠かせない構造であるということで、D52で初めて採用されました。新製機関車では、他にE10とC59の一部が燃焼室を設けて落成しています。
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