田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。
吹田区への所属はなかったことで、集煙装置の搭載履歴はありません。
ボイラ交換したのは昭和40(1965)年と随分晩年だったんですね。
「最盛期の国鉄車輛16 蒸気機関車4」(ネコパブリッシング刊)に掲載されている昭和37(1962)年当時の写真と見比べると
1.ドーム前にコの字型の手摺が設置された
2.ドーム前の台座側面に貼られていた「架線注意」札が撤去された
3.ドーム前への昇降用ステップは既成の踏段の位置をずらしつつ3段から4段になった
4.通風器用配管がそのステップの先で屈曲された
5.ATS用蒸気タービン発電機が設置された
6.炭水車に増炭枠が設置された
などの変化が確認できます。
昭和47(1972)年6月13日 長万部機関区
キャブ前窓の防護網は、窓から距離を置いて設置し、冬期間以外は視界の邪魔にならないように畳んでいます。
二子三方コック支持板の左にあるのは動力式揺り火格子装置のシリンダで、標準化改装時に設けられた装備で、C62で始めた採用されたものです。(C62→D62→D52の順。)火格子面積の大きいD52だけに、メカニカルストーカーと共に機関助士の労力低減には大いに役立ったことでしょう。
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