ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 761

田中 泰三様と”撮り人不明”様の画像につき、転載はご遠慮下さい。

昭和39(1964)年6月8日 呉駅

この機関車も除煙板に点検口を設けておらず、その姿で廃車になったようです。

同じ糸崎区配属である760号機と雰囲気は似ていますが、後部標識灯の位置や缶胴の手摺に見える「通風器用蒸気配管」設置位置(761号機には無い・・・訳は無いのですが、画像では確認できません)の有無、エプロンの両端リブの有無などに違いが見られます。

 

↑暖房管が前端梁の下端に設置されています。後部標識灯もこの地区の機関車らしく、前端梁に移設されています。

↓換算票が煤けていて読めません。

昭和45(1970)年9月24日 糸崎機関区

 

昭和45(1970)年9月25日 糸崎機関区

この少し後に休車留置のため新見区へ送られたようです。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51761

 

ウソつきロシア軍とゴロつきワグネルとがあわや衝突か・・・という事態は避けられたようですが、そもそもロシアで違法である民間軍事会社がぬけぬけと戦争で大活躍(殺戮や残虐行為や破壊行為)し、正規軍でもないくせに弾薬が不足しているからこっちによこせと言って反逆に動いた身勝手なプリゴジン、その反逆行為に罰を与えると言い放ったプーチンは、ワグネルがベラルーシに転進すると、戦線離脱として罰するどころか不問に処すという、全くスジの通らない意味不明な言動に出る始末。ホント、クズどもは内戦で共倒れして、ついでにロシアが滅んでくれたらと、どんだけ多くの人たちが望んだことやら。ところで一か月前、プーチンとの会談後に体調を崩したルカシェンコってまだ生きてやがったんだ。プーチンに毒盛られたって噂がありましたね。大悪党って、ホントにしぶどいよね。