SAMPUKU爺様と’撮り人不明’様の画像につき、転載はご遠慮ください。
昭和42(1967)年7月16日 長万部機関区
車歴表によればこの時点で五稜郭機関区所属になっているのですが、この画像では長万部機関区の区名札が差されています。
池田機関区時代の名残で、ドーム前手摺が釧路工場製のものであり、狩勝越え用の重油タンクもそのまま装備。キャブ側面の換気口風戸には「38-12 釧路工」と表記。
キャブの密閉化は施工済ですが、除煙板の切り詰めは未施工。
「川崎車輛」の楕円銘板は珍しいかも。
昭和42(1967)年8月11日 五稜郭機関区
除煙板が切り詰めされています。回転火の粉止めのお皿が撤去されています。重油タンクの存在がこの画像では確認できませんが、1か月足らずの間に雰囲気は変わりました。
除煙板上部ステーは左右で煙室端への取付高さが異なっています。そのせいなのでしょうか、公式側のものは折れる格好となっています。なぜそんなことを・・・?
昭和43(1968)年12月26日 森駅
重油タンクは載せていないようです。D52とのちょっと離れてのツーショットは蒸機全盛期を彷彿させます。
D51の煙室戸の直径は1440mmに対してD52の場合はそれより一回り大きい(某図面から測ると1520mmほど)にも関わらず、煙室の直径との差を比較すると、D52のボイラがいかに大きいかが分かります。
中線や貨物ホームに留置された貨車を見ると、この当時の貨物輸送がいかに鉄道頼りだったのかが伺い知れます。コンテナ輸送はまだ少なく、宅急便なんて存在しない時代だったし。
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