ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D60 17

matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。

D60 17は元D50 127

D50 127の車歴は↓こちら。D50 127の旧機番は19926。

http://d51498.com/db/D50/D50127

昭和42(1967)年5月31日 紀伊田辺機関区

紀伊田辺区のD60は、紀勢西線紀勢本線の全通は昭和34(1959)年)の紀伊田辺~和歌山間の貨物列車の運用に充てられました。最初に配属された6輌のうちの1輌です。鷹取式の集煙装置を載せています。

D60では動輪の軸重が軽くなった反面、横圧は逆に大きくなり、保線区から苦情が出るようになったため、印南~紀伊田辺間で実験が行われました。これにより先輪の横圧を低減するために復元力を適正化するようコロの勾配を決定しました。もともとタネ車のD50では先輪はリンク式を採用していましたが、復元力が弱く脱線の原因となっていたので、一部のD50とD60全機は復元力の大きいコロ式を採用しています。

前照灯はLP405。煙室戸周りの手摺は向かって左側の回り込みが短いです。

除煙板は玉掛用の穴と吊り環の2段構えです。

砂撒き管は3本とも斜め前方に降りています。第一から第三動輪の前方に撒き口があるのでしょうか。(主流は第二~第四動輪の前方)

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D60/D6017