ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D60 62

田中 泰三様と'撮り人不明'様の画像につき、転載はご遠慮ください。

D60 62は元D50 229

D50 229の車歴は↓こちら。D50 229の旧機番は29928。

http://d51498.com/db/D50/D50229

昭和43(1968)年1月24日 大分運転所

外観は標準的なものに見えます。暖房管が連結器付近まで取り回されています。キャブ前窓に庇はありません。その窓上に貼られた「架線注意」札がちょっとしたお茶目感を醸し出しています。

右奥に見えるセラ4901は九州専用の石炭車セラ1形式です。北海道などで(九州でも)使用されたセキ3000形式とは石炭の投下方式が異なっており、セキ3000形式では側開き、セラ1形式では底開きを採用していました。いずれも最高運転速度が65km/hに制限されていたため、この年から黄色い帯が車体に表示され、更に形式の頭に「ロ」が付記されるようになります。加えて北海道では「道外禁止」が表記され、北海道の独自性を痛感したものです。

 

昭和46(1971)年2月17日 大分駅

キャブ側窓には手摺があります。手摺というよりも肘掛のようです。

D50の炭水車には8-20形式と12-17形式の2種類が採用されており、D60 62号機は12-17形式を組んでいます。34号機の記事では外観の違いだけ触れましたが、水平継ぎ手位置で両者を見分けることが出来、位置の高いのが8-20形式で、低いのが12-17形式です。D50では277号機以降が12-17形式で、それより前が8-20形式を採用していますが、D60に改造された時点でタネ車と炭水車との関係は絶たれており、62号機も本来ならば8-20形式と組んでいたことでしょう。なお、ロングラン運転を行うC53に8-20形式を譲ったD50が8輌存在していると言われています。昔の記事で、C55とD51にもそんな関係がありましたね。

※その後ネットで調べると、炭水車は190号機(宇佐美式弁装置を試験的に装備したことで有名)より前を8-20形式、以降を12-17形式とした記事があり、確かに276号機以前のD50で12-17形式炭水車の写真はいくつか見かけます。277号機は新称号の開始ナンバーだし、何かが混同されているのか、真偽のほどはよく分かりません。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D60/D6062