ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D60 69

SAMPUKU爺様と'撮り人不明'様の画像につき、転載はご遠慮ください。

D60 69は元D50 33。

D50 33の車歴は↓こちら。D50 33の旧機番は9932。

http://d51498.com/db/D50/D5033

昭和42(1967)年5月25日 行橋機関区

上部ステーが跳ね上がっていることから68号機と同じ除煙板に見えますが、吊り用孔と吊環の有無、前端手摺取り付け部のリブの有無などに違いがあります。また煙室戸蝶番腕の長さも違いますね。

煙室戸周りの手摺はぐるりと1本ものです。さぞや取付にくかったのではないでしょうか。

九州機では給水温め器の中央部にステーらしきものの存在がしばしば確認できますが、これは何のためのものなのでしょう。ヘッドマーク用にしてはいささか小型であり、またヘッドマークを取り付けた写真は見たことがありませんし。

 

 

昭和43(1968)年3月19日 大分運転所

この1年前にはなかったバック運転時に使用する暖房管が前方へ引き通されています。柳ヶ浦区から大分運転所へ転属されてから施工されたものでしょうか。

煙室戸周りの手摺が折れた様に歪んでいます。やっぱ取付にくくて歪めてしまったのでしょうかね。

 

昭和45(1970)年9月1日

キャブ側面の大窓全開、前妻の扉も開けっ放し。暑いもんね。ホント、蒸機の乗務員は大変だ。炭水車は8-20形式。石炭は山盛り。

牽引される前4輌の貨車は石炭車かと思いきや、上部には蓋があることからホッパー車と思われ、しかも私有貨車のようです。側面に書いてある文字はちゃんと読めませんが「民間車」と読めるような読めないような。形式は判然としませんが、ホラ1形式のようなそうでないような。ホラ1形式はセラ1形式に屋根蓋を被せたような外観です。他にホラ100形式というものもあります。いずれも九州地区ではセメント輸送に使われていました。麻生さんの会社があったもん。あれだけ頻繁に北九州地区で走っていた運炭列車・セメント列車ですが、それに使用された貨車は一体どれだけ写真に記録されているのでしょう。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D60/D6069