ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D62 17

natuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。

D62 17は元D52 343。

D52 343の車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D52/D52343

昭和41(1966)年8月3日 一ノ関管理所

シールドビーム2灯化されたD62晩年の姿。

先輪はディスクタイプ。正面番号板の位置はかなり高目。後方は8号機ですが、共に煙室戸の下部には用途不明の取っ手が付いています(取り付け高さは異なりますが)。

D52もD62も後部標識灯は前端梁に装着していますが、D51のように色々な場所に設置しない理由は何かあるのでしょうか。シンダ受けが前方に飛び出していることは無関係のように思いますが。

砂撒き管付近には一部のD52と同様に、缶胴の途中まで梯子があります。これはD62になってからの吹田区時代に集煙装置を設置した際に取り付けられたものと思われます。D52では集煙装置を外した際に煙突を元の長さに戻したようですが、D62でも同様だったのでしょうか。

あれれれ?何という事でしょう。給水ポンプがありません。接続する配管が途切れていますね。これでは給水温め器に水を送れません。一体なのが起きているのでしょう。などと思いながら車歴表を見ると、既にこの時点で廃車されており、この前日からボイラーとして利用されていたんですね。電気自動車を蓄電池として使うようなものでしょうか。キャブには斜めに梯子が掛けられていますが、それも関係しているのでしょうか。謎が多いまま、D62の章はこれにて終焉です。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D62/D6217