ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D60 57

田中 泰三様と'撮り人不明'様の画像につき、転載はご遠慮ください。

D60 57は元D50 40

D50 40の車歴は↓こちら。D50 40の旧機番は9939。

http://d51498.com/db/D50/D5040

昭和43(1968)年1月24日 大分運転所

車歴表によれば全般検査出場したてで、新車のようにキレイです。北海道で酷使されたであろうに、煙室戸は新品に交換されたかのようです。連結器付近の暖房管が連結され、どこかに蒸気を送っています。考えてみれば走るボイラーなので、発想としては給電可能な電気自動車と似ているように思えます。しかし電気自動車は発電所からの電気を充電せねばなりませんが、ボイラーは燃料を燃やして動力となる蒸気を自分で作るという点が決定的に異なります。外燃機関、内燃機関は環境的には問題を抱えながらも、自分で動力を作る点が電気自動車に対する大いなるアドバンテージと言えるのではないでしょうか。自給自足が最強ということで。

 

昭和46(1971)年2月20日 直方機関区

こちらも全検上がりのような光沢を放っています。

2軸の従台車はD62と同じLT254形式で、C601次型やD61でも採用しています。(C61とC62はLT253形式。)

動輪スポークの本数は15本ですが、14本のものもあります。数えるのが面倒なので、どの機番かは調べていません。

広く見えるキャブですが、中ほどまで火室が食い込んでいるので、見た目ほど広くはありません。それでもD51よりは空間に余裕があるそうです。

 

不明

一転して、普通の外観の57号機。メモでは上記と同じ日の撮影になっているのですが、陽の加減のせいがあるのかもしれませんが、どうもそうは見えないので不明としておきました。

缶胴周りの梯子は砂箱の前方から後方に移設されていますが、これにより缶胴後方がより賑やかになっています。

キャブ前窓に庇はありませんが、D50やD60では必ずしも必要としなかったのでしょうかね。なんでだろ~なんでだろ。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D60/D6057