ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

19673

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年8月17日 追分機関区

D51 241と共に一生を追分区で過ごした機関車です。マレー形の9850形式と顔を合わせていたのでしょうね。つか、9850を廃車に追いやったと云いますか。

ゼブラ模様になる前の姿です。除煙板は引退するまで設置されなかったようです。

サイドステップは左右で異なります。この頃は、入換専用機ながら夕張線で運炭列車の牽引にもあたっていました。「架線注意」札はありません。

 

昭和47(1972)年6月17日 追分機関区

汚された巨体。キャブ前窓が真っ黒に見えます。機関士さん、大丈夫か?

 

昭和48(1973)年11月27日 追分機関区

岡山区などの逆V字に対して正常V字のゼブラ模様。炭水車側面は、落書きを消す際にゼブラ模様も一緒に消されてしまいました。

キャブ側窓は2枚窓のまま。

炭水車背面の梯子周りは前回の19671と同様の形状。右ステップもありません。しかし前照灯の保護カバーは19671と異なり左右対称です。

 

昭和49(1974)年12月19日 追分機関区

ゼブラ模様がなくなりました。一生を追分区に捧げた19673ですが、ネット上にその姿はあまり見かけないのはどういう訳でしょう。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/9600/19673

 

大野川橋梁。(清川口久根別

久根別方は樹木が成長してすっかり見えなくなってしまいました。