2024-07-01から1ヶ月間の記事一覧
matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。 昭和43(1968)年7月18日 門司機関区 足回りスッキリ。キャブ裾がカットされています。裾カット機としては国鉄蒸機のフィナーレを飾った79602が有名でしたね。逆転機は動力式で右運転台。…
matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。 昭和43(1968)年12月27日 北見機関区 1,2枚目と3,4枚目とではスノープラウの有無の違いがあり、それぞれ別の日の撮影かもしれません。 回転式火の粉止めのお皿とLP403と大きめの除煙…
matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。 昭和41(1966)年9月21日 岡山機関区 同じ岡山区の29627とよく似た風貌です。しかし煙室戸のゼブラ模様は塗り分けが異なっていますし、パイプ煙突への換装、蒸気ドーム嵩上げの有無、ラン…
matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。 昭和43(1968)年3月17日 鳥栖機関区 砂箱ドームの給砂口が飛び出ています。どうしてこんなに突出しているのでしょう。煙室戸、番号板の上の「角」もかなり飛び出しています。キャブ前窓の…
matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。 昭和42(1967)年5月25日 行橋駅 昭和47(1972)年3月5日 直方駅 この機関車と79600の2輌にしか存在しないK-8タイプの門デフを装備しています。 煙突の継ぎ足しはかなり長めです。 煙室…
matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。 昭和43(1968)年3月17日 直方機関区 後ろ側の画像しかありませんが、炭水車背面だけでも特徴が見られます。 梯子を撤去してコの字型ステップ化。近代機関車に合わせたのでしょうか。その…
matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。 昭和48(1973)年11月25日 北見機関区 キューロクにおける切り詰め除煙板の奇妙さが、この部分的画像からも感じられます。こんなちっちゃな除煙板でもちゃんと効果があったのでしょうかね。…
matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。 昭和43(1968)年3月17日 鳥栖機関区パイプ煙突で裾部にアールはなくドン付け。煙突の径はやや細目に見えます。 解放テコは片側タイプですが、九州機に多いように感じるのは気のせいでしょ…
matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。 昭和42(1967)年3月27日 稲沢第一機関区 戦前から稲沢区で入換一筋の専用機だったんですね。入換機特有の装飾としてフロントデッキ部の全幅手摺(北海道機のものとは形状が異なります)と…
matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。 昭和47(1972)年3月5日 後藤寺機関区 九州機にしてはあまり綺麗な車体ではないようです。煙室戸や炭水車側面には落書きペンキを消したと思われる白い跡が。 回転式火の粉止めのないパイ…
matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。 昭和48(1973)年11月25日 北見機関区 北海道のカマは煤汚れの酷さで有名でしたが、煙室戸のゼブラ模様も煤で汚れて最早警戒色の意味をなしていません。番号板はちゃんと読めるので、ファン…
matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。 昭和44(1969)年7月18日 指扇駅 指扇(さしおうぎ)は川越線の駅です。大宮から三つ目の駅で7.7kmに位置していますが、直線で結べば4km程度の距離になります。線路は直角三角形の2辺を描…
matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。 昭和42(1967)年8月9日 北見機関区 比較できる画像はありませんが、除煙板は切り詰め前の姿です。前端には控えめな手摺が外向きに設けられています。これなら昇降しやすそうです。 回転…
matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。 昭和43(1968)年3月17日 若松機関区 ランボードは1段のまま。その上に載った元空気溜め周りに繰り出し管はなく、すっきりした印象です。番号板の上にはフックがありますが、それに隠れる…
matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。 撮影日不明 行橋機関区 2輌とも初登場のナンバーです。29651は3次型、49575は49602から始まる4次型に分類されますが、正面を見る限りその違いは見出せません。3次型までは真空ブレーキ…
SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮下さい。 昭和43(1968)年3月17日 鳥栖機関区 美しく車体が磨き出された小倉工場製の29641。その特徴として、キャブ側窓が2枚になっていることです。本来、3次型と呼ばれる9658~49601のグループのうち、19683以降…
田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮下さい。 昭和43(1968)年12月25日 追分機関区 除煙板もゼブラ模様もない時代の姿です。煙室端中央から横に飛び出した「架線注意」札がユニークです。北海道機ではよく見られました。 昭和48(1973)年1…
matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。 昭和42(1967)年4月22日 岡山機関区 岡山区所属の入換専用キューロクですが、煙室戸のゼブラ模様は統一されているわけではありません。一番下の三角形(切ったスイカの形)が黒色か黄色か…
SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮下さい。 29625は過去記事にもありますが、独立した写真が見つかったのでここに掲載します。 昭和41(1966)年9月21日 岡山機関区 正面の逆V字ゼブラ模様、炭水車の安全十字マークなど、岡山区の入換専用機らしい姿で…
matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。 昭和42(1967)年9月8日 直方機関区 おでこのLP405がキューロクの無骨さを緩和しているとか。 継ぎ足し化粧煙突に片側タイプの解放テコ。九州のキューロクにはこの手のものが多いのでしょ…
matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。 撮影日不明 行橋機関区 キューロクは中型機関車というイメージがありましたが、人の大きさと対比するとイメージ以上に大きく見えます。実際、9900(D50)が登場するまでは貨物用機関車の王…
SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮下さい。 昭和42(1967)年8月17日 追分機関区 除煙板無しの入換機です。フロントデッキの全幅手摺は、入換専用機かどうかにかかわらず多くの道内キューロクに設置されていました。補助灯は設置前。 向って右側のサイ…
SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮下さい。 19696同様にATS用のタービン発電機は煙突付近に設置されています。煙突の継ぎ足しは短め。蒸気ドームは嵩上げされているように見えます。 除煙板は前端に補強用のリブ付き。 解放テコは片側タイプ。ネジ式連…
matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。 撮影日不明 行橋機関区 継ぎ足しが長めの化粧煙突。その左にはリンゲルマン濃度計、更にその左にはATS用のタービン発電機が設置されています。何故こんな場所に? 前端梁とフロントデッキに…
matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。 昭和42(1967)年8月19日 西舞鶴機関区 久々に標準的な除煙板付きの姿を見た気分です。その除煙板、何故だか左右で高さが違いますね。 煙突は一見、化粧煙突かと思いきや、もともとのツバ…
matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。 昭和43(1968)年4月5日 高萩駅(常磐線) 昭和40年頃の平区時代には磐越東線の運用にあたっていたようです。 画像は、入換の合間に休憩している姿でしょうか。 番号板はちょっと上向きの…
田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和42(1967)年8月17日 苫小牧機関支区 スノープラウの昇降装置を装備しているのは入換専用機のスタイルです。この昇降装置のため、フロントの手摺が左右に分割されています。ゼブラ模様は…
田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和42(1967)年8月17日 追分機関区 D51 241と共に一生を追分区で過ごした機関車です。マレー形の9850形式と顔を合わせていたのでしょうね。つか、9850を廃車に追いやったと云いますか。 ゼ…
田中 泰三様とSAMPUKU爺様と江別の鐵様とぽっぽや様所蔵の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和42(1967)年8月 追分機関区 一時期を除き、追分機関区に長く配置されてきました。入換専用機ですがゼブラ模様はまだありません。フロントデッキの全幅手摺…
SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和42(1967)年3月11日 吹田第一機関区 正面番号板が、いささか下気味に付いています。入換専用機なのに、ゼブラ模様はありません。化粧煙突の継ぎ足し、蒸気ドームのいくばくかの嵩上げ、キャブ前妻窓…