matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮下さい。
昭和42(1967)年5月31日 和歌山機関区
8620の改良増備として量産されたC50は、登場時こそ区間快速列車や軽貨物列車の牽引に活躍しましたが、先輪の脱線事故が多発したり軸重が8620よりも大きいため運用線区が限定されるなど、またその後に登場したC58が優秀であったためにその後塵を拝することとなり、C50は徐々に本線から追いやられることとなります。画像の頃には本線運用は僅かに両毛線と日豊本線の一部の区間だけとなっていたようです。とはいえ軸重が重いということは入換用に適していることから、入換専用機として各地の機関区で活用されました。しかしこれとて長くは続かず、DD13が登場し全国に配備されるにつれてC50は入換の職場さえも追われることになります。昭和36(1961)年4月1日現在の配置表によれば、早くもわが北海道にその姿はありません。おそらく入換にも本線(幹線・ローカル線とも)運用にも使える9600がC50の働き場を阻んだのではないかと想像します。
回転火の粉止めを載せた煙突はパイプに交換されているように見えます。原設計では空気圧縮機によりランボードは分断されているのですが、これまでご紹介した17、21号機同様に24号機でも連続しているようです。所詮入換専用機だろうにとつい見下してしまうのですが、現場では必要な措置だったのでしょうか。
車歴は↓こちら。