ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

昔からの撮影地

上  書庫:日記 じゃないし。
右  友だち:友だちはいません とか、随分な言い草ではあります。
型に嵌めたいのか Yahoo!さん。

昨日は何がいけなかったのか、突然アクセス数が増えてしまったので、何かがおかしいと感じて布団に潜り込んで震えておりました。まあ、今日は落ち着くでしょう。でもこんなブログに時間を潰してもらって本当にありがとうございます。

んで、今朝YouTubeにアップした動画。

(HD)苗穂駅西側跨線橋に遊ぶ

今やすっかりメジャーな撮影地になり、近所のアリオ札幌の利用客も結構利用しているのが、苗穂駅の西側に架かる跨線橋。いつ頃からあるのかは知りませんが、初めてここを訪れたのは昭和46(1971)年頃だったでしょうか。まだ苗穂機関区には蒸機がごっちゃりおって、C58(千歳線で補機も務めていました)なんかが入換のために跨線橋の下を行ったり来たりしておりました。その時に写真は撮っておりませんが、一緒に行った友人がモノクロの8mmフィルムを回しておりましたな。何てったってお医者さんの息子でしたし。

その頃の跨線橋はレールで組み上げたもので、手すりがあるだけで金網はなく、撮影にはもってこいの場所でした。また階段のところには板張りの壁と屋根があり、雨宿りができました。すがまさき、でなくてさだまさしが、例の歌をここで作ったのかは定かではありません。札幌駅が地上駅だった頃、東側にあった跨線橋もそんな造りでしたね。手すりに触ると、煤が付きましたですことよ。

社会人になり、C62の様子を見ようと平成2(1990)年に久々に訪れたら、今のものに変わっていました。そぼ降る雨の日で、その時C62は試運転で倶知安の方に行っていたようで見ることは叶わず(今にして思えば、訪れるべきは運転所の方であって工場ではないでしょ)、仕方ないので南側の階段の下に潜り込んで、普通に鉄しておりました。(YouTubeにアップ済)重い、デカイのベータカムだったので、もう動くの面倒。
今はその下に立ち入ることはできませんが、当時は柵もなく侵入可でした。

アップした映像は、知人から789系の試運転があるかもしれないという話を聞いてやってきた時のものです。いつ出場するのか分からないので、過去に撮影した記録を基に、早めに訪れました。待機中は、色々な列車を撮影できたので、いい時間潰しになりました。それどころか、これは平成17(2005)年の撮影で、今見返すと、消えた列車や車両が続々登場しているので、とても懐かしく思えます。ホント、撮っててヨカッタ。
撮影には、知人に借りたハイビジョンのビデオカメラを使い(当時、ハイビジョンカメラはまだ非常に少なかった)、気合いが入っていたのでガッツリ三脚を使用しております。その頃はアリオ札幌の開業前で歩行者も少なかったので、通行人の皆さまは大目にみてくれていたのではないかと、都合よく考えております。こちらも脚は狭く開いたり、自転車が来た時は畳んだりもしています。ま、言い訳にしかなりませんけど。

この撮影の一か月後にアリオ札幌が開業し、また、若い鉄道ファンが撮影に集まるようになるのに合わせ、逆に私はこの場所へ行かなくなりました。跨線橋北側にある、ドウデン前の柵が背の高い金網に変えられ、工場への入出場の様子が撮影し辛くなったという事情もありますが、ネットにこの周辺の画像がよくアップされるようになったので、もう自分の出る幕ではなく、人に任しちゃえというところでしょうか。要するに面倒臭くなったのかな。
最後にここでカメラを回したのは、廃車になった781系を見ようと訪れた平成19(2007)年です。(これも最近YouTubeへアップ済です。)

苗穂駅周辺の整備事業だかで、苗穂駅は西側へ300mほど移設されるようですから、その時にはこのあたりは線路の南北を連絡する駅のコンコースとなるのでしょうか。風景も大きく変わるのでしょうね。