ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

185系電車と同期

まだ活躍しているらしい185系電車。北海道に住んでいるし、ネットもあまりググらないし、鉄道雑誌は40年以上前の鉄道ピクトリアルしか最近買っていないので、今の185系電車のことはさっぱり分かりませんが。分からないなら書くんじゃねえ、などと突っ込まないで下さい。

私が社会人になった昭和56(1981)年に185系電車はデビューしました。国鉄らしからぬ緑色のストライプ塗装、特急らしからぬアコモなど、色々と話題を振りまいていました。まずは急行「伊豆」として営業運転を開始し、153系電車と併結して走る姿もこれまた異色でありました。特急形と急行形が併結するなんて普通はありえない。急行形が特急代用で走った例はありますけど。(153系や157系の「こだま」とかキハ56系の「北斗」とか。)
急行以外では通勤列車にも使用されましたが、通勤客からの評判も、グリーン客以外からはイマイチ。出入り台扉の幅は、通勤利用を考慮して通常の700mmを1mに広げておりましたが、デッキはあるは腰掛はクロスだけだわで、乗降に手間取りそう。
その年の秋のダイヤ改正で、それまでの「あまぎ」に代わって新設された伊豆特急「踊り子」に晴れて着任。183系電車とともに東海道本線を駆けましたが、腰掛がチープで183系より見劣りがするとか、そもそも「踊り子」なんて愛称名は特急には不適だとか、またまた不評を振りまきました。愛称名については、山口百恵さんと三浦友和さんが共演してヒットした映画「伊豆の踊り子」の影響があったとかなかったとか。

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かように悪評ばかりが目立つ印象の185系でしたが、私と同期であり、先頭車の表情は何となく157系を連想させる作りだったので、個人的には嫌いではありませんでした。とはいえ結局、東海道185系に乗車することはありませんでした。
乗車したのは上野~大宮間で運転された「新幹線リレー号」だけです。昭和57(1982)年6月23日に、東北新幹線が大宮発着で暫定開業した時に誕生した快速列車で、新幹線乗り継ぎ客だけしか乗車できないというなかなか大胆な列車でした。まあ新幹線の代わりという位置づけをきっちりさせたということでしょう。
この列車の185系は、東海道の0番代とは塗り分けが異なる200番代でした。その関係で、車体側面の車番文字の位置も0番代とは異なっていたので、後に200番代が東海道へ配置換えとなり0番代と同じストライプ塗り分けとされた時、車番が緑色の中に埋もれてしまいました。だからナンダということもありませんが。

185系が「鉄道ファン」の表紙を飾った写真(1981年4月号)ではヘッドマークが「あまぎ」になっていましたが、結局は幻のマークとなってしまいました。北海道人としては、幻に終わった北海道初の電車特急「さちかぜ」を連想します。
数年前に157系風に塗り替えられた後に「あまぎ」のヘッドサインで運転されたこともあったようですが、定期列車ならともかく臨時とあっては、ファンの心をくすぐる粋なサービスと捉えるか、形だけ真似した品のない冗談と捉えるか、国鉄電車ファンの意見は二分するのではと思いました(私は後者)。

で、本物の185系「あまぎ」。
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ちっちぇ~けど、「あまぎ」のヘッドマークを掲出しています。200番代の「あまぎ」は、古いブログで紹介したことがあるので、出来が悪いながらもこちらをアップしました。この撮影の後、どうしたことか手前でシャッターを切っていないおバカな私です。「あまぎ」は単なる掲出ミスに過ぎないのですが、「踊り子」よりずっとお似合いです。

高運転台が標準だった国鉄型特急電車とは一線を画す185系電車は、最初から最後まで話題を振りまき続けることでしょう。 おしまい

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撮影は全て昭和56(1981)年10月18日 湯河原