ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

ED75

直流機のEF65、交流機のED75。両「5」ナンバー機はともに国鉄を代表する標準機でした。EF65は、勾配区間以外の直流区間はほとんど走ったのではないでしょうか。一方、ED75もまた、山岳地帯の勾配区間以外では北海道から九州まで幅広く活躍しました。そしてどちらも旅客から貨物まで、更にブルートレインも牽引しています。EF65には0番代、500番代、1000番代の番代区分があったように、ED75もまた0番代、300番代、500番代、1000番代と分かれていました。

ED75がたった1両だけですが北海道専用機として存在したこともあって、ここではより馴染のあるED75の画像を貼っておきます。技術的なことや運用などは、ウィキペディアや他のサイトにお任せします。

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ED75 70+ED75 昭和59(1984)年9月23日 滝沢~渋民
東北本線の貨物は蒸機時代から重連運用が多いのが特徴。当時、列車は旧客あり~の、電車特急、電車急行、気動車急行と、実にバライティー豊かで、撮影に飽きることはありませんでした。今ならこんな線路際で撮影しているだけで指令に通報されちまいますかね。

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ED75 128 昭和62(1987)年9月14日 陸前山王~岩切
車体が小さい分、パンタグラフがでかく見えます。でも力持ち。軸重重い。

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ED75 137、ED75 150 昭和62(1987)年8月8日 八戸駅
停車中の両列車を撮影。貨物からブルトレまで、幅広く活躍した交流の標準機がED75でした。

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ED75 301 昭和59(1984)年7月26日 瀬高~船小屋
1週間の九州旅行で撮影できたED75はこの301号機だけでした。他はみんなED76。列車ダイヤなんて持っていなかったので、貨物列車の撮影は運任せでした。300番代は60Hz専用機。国鉄型の50、60Hz両対応機関車は、交直流機のEF81だけでした。

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ED75 501 昭和52(1977)年3月12日 岩見沢第二機関区
友人と一緒にふらっと立ち入った機関区。居合わせた職員の人に声をかけただけで撮影させていただきました。本当はダメだったのかもしれませんが、その当時のユルユルさがファンにはありがたかったです。501号機は岩見沢旭川間で貨物列車だけを牽引しており、札幌では見ることができませんでした。現在、小樽市総合博物館に保存展示中。

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ED75 732、ED75 156 昭和52(1977)年8月17日 青森駅 日本海2号牽引
700番代は奥羽本線用で、ED75最後のバージョンでした。耐寒、耐雪、耐塩対策済の頑丈仕様機。
後に34両が青函専用機関車ED79に改造されたのはご承知の通り。

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ED75 1010、ED75 1034 昭和52(1977)年8月17日 青森駅
高速仕様の1000番代。貨物もブルトレも牽きました。

東北地区を走った交流機には他にED71、ED77、ED78、EF71がありましたが、いずれも運用区間が限定的でした。

ちっちゃな体で力持ち。ED75は、まるで「いなかっぺ大将」の「風大左衛門」ではないですか。