ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

仙山線へ

暗くなってから渋民駅に到着し、そこから一旦、盛岡駅へ引き返し、それから「はつかり19号」で青森へ向かいました。その夜の宿とする上り急行「八甲田」に乗車するためです。青森には23:05に到着し、「八甲田」の発車は0:02。まあまあいい感じの乗り継ぎ時間です。仙台到着は翌朝の5:36。仙台発6:47発の823M山形行きに乗車するのですが、こういう早朝の列車に乗車するのに、ホテルに泊まるのはもったいないということで「八甲田」を利用したのかもしれません。

仙台駅では待合時間にスナップを何枚か。
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どこの駅でも見かけたDD13。しかし、長期間に及ぶ製造で様々な改良が加えられました。この370号機は300番代の車で駆動系の歯車を強化したとか何とかで、あとはウィキを見て下さい。300番代の重連形が600番代で、札沼線でよく見かけました。

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クモハ417-1+モハ416-1
客車列車を置き換えるために登場した近郊形の417系は交直流電車ですが、結果的には仙台を中心に交流区間しか走りませんでした。将来的には北陸地方などにも投入する計画だったために3電源方式を採用したそうですが、財政難から製造は5編成15両で打ち切られ、不足分は余剰となった急行・特急用車両を改造して賄われました。

さて、山形行きの823Mに乗車します。
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6:54 北仙台駅 作並始発の1822Dと出会う
仙山線は単線ながら電化路線でした、電車だけでなく気動車や客車列車も走っていました。勿論、貨物列車も走っていました。

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7:21 陸前白沢駅 824列車 ED78 4+ED78 9
「死」と「苦」の重連とは縁起がいいです。仙山線はED78の天下です。奥羽本線では補機はEF71でしたが、ここでは補機もED78です。

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7:53 奥新川駅 3822M(快速「仙山」)
単線なので、列車交換が楽しめます。

そして目的地に到着。
撮影地としてあまりに有名ですが、初めて訪れました。さわやかな秋晴れの下、ここで2時間ほど撮影することにします。

昭和59(1984)年9月24日