ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

瀬高(せたか)にて

7月に連休を組んで、一足早い夏休みとし、九州旅行を企てました。夏の九州なんて、その暑さを学生時代に十分に経験していたのに、何だか急に行きたくなったようです。

19:10「あさかぜ1号」で横浜を出発し、終点の博多到着は翌日の11:32。12:05に「有明11号」に乗り継ぎ、瀬高には12:54に到着しました。どうして瀬高を選んだのかというと、当時は瀬高と佐賀とを結ぶ佐賀線(昭和62年3月、JR化直前に廃止)というローカル線があり、その分岐箇所で両路線の列車を撮ろうという算段だったのです。ただし、佐賀線の列車はカラーネガだけで撮影したので、この記事にはその写真はありません。(過去記事で掲載済み。)

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13:29 船小屋(ふなごや)→瀬高 151M
415系電車。ユニットサッシ窓と集中形冷房装置が特徴。番代区分などはややこしいので端折ります。421系、423系に次いで登場しましたが、3電源方式に対応した、457系や485系に相当します。401系・403系を411系に、421系・423系を413系に変更する計画があったため、415系という飛び番形式になってしまいました。もっとも、413系は後に、急行形交直流電車(471系・473系)から近郊形化改造によって誕生しています。

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13:49 有明13号
赤ヒゲがないので、151系を彷彿とさせます。両端の先頭車のスカート部のタイフォンに違いが見られます。

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14:46 船小屋←瀬高 5192列車
貨物の列車番号をどうやって知りえたのか覚えていませんが、撮影できた唯一のED75形式300番代でした。軸重が重く、北九州地区の限られた路線でしか運用できませんでした。ED73形式の増備機という扱いだったようですが、素直にED76を増備した方が良かったのではないでしょうか。

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14:54 有明15号
L特急だけあって「有明」は本数が多く、1日に15往復していました。先頭のクハ481はタイフォンが腰部にあります。後ろのクハ481は赤スカートです。481系のオリジナルカラーではスカートは赤一色でした。

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14:59 132列車
九州の電機といえば、ED76が主流になっていました。ED72やED73という九州専用機はすでに引退しており、他には関門用のEF30とEF81が本州との連絡に気を吐いておりました。

いきなり暑い暑いと、汗だくになりながらの撮影でしたが、この後、場所を変えます。

昭和59(1984)年7月26日