ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

福知山駅

相変わらず昔の写真でノスタルジ~な気分にどっぷり浸かる日々を過ごしております。フィルムスキャンは順調に進み、これまでに3000枚ほどファイル化しました。その中からの(当時はつまんね~と思ってうっちゃっていた)写真を毎日ちょっとずつアップして、駄文とともにお目汚しさせていただいております。

でも、実はあまりそれほどノスタルジーでなかったりもするんです。これまでアップさせていただいたのは昭和56(1981)年以降の写真ばかりですが、撮影に手を染めたのは昭和45(1970)年であり、当時の世相に合わせて蒸気機関車にどっぷり浸かっていた・・・というほど重症でもありませんが、その頃に比べると30年前などは今現在にずっと近い印象があって、昭和61(1986)年はついこの間のような気すらしてしまうのです。(年を重ねるとともに現れる症状かも。)
そこでもっとノスタルジーな気分になりたくてヤフオクで古い「鉄道ピクトリアル」を買い漁っていました。かなり安い価格のものばかりを狙ってのことです。そうして入手した一番古いものは昭和32(1957)年1月号です。私がこの世に生を受ける少し前のもので、巻頭グラフには「米原-京都電化完成」なんてあり、80系電車の試運転、EH10+D51牽引の集電試験列車、EF58牽引の試運転列車などの写真が並んでいます。「車両の動き」を見ると新製電気機関車はEH10、EF58、移動では電化余剰となったC59やD52がごっそり名を連ねております。ノスタルジーを通り越して「あなたの知らない世界」の前で凍り付く一歩手前の感すらありますが、当時の様子は何とか想像できますから、それに比べると国鉄末期ごときはやはりつい最近のことに思えてしまうのです。

つまんない能書きはこれくらいにして、今日の写真は福知山駅。以前にそこでの写真をアップしたことがありますが、クレーム処理の出張の帰りに撮ったものです。当時は、ちょっとした規模の駅には、必ずなにがしかの車両が留置されておりました。こと、機関区を併設した駅では尚更です。

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福知山駅の写真、とか言いながらいきなり京都駅。ここから福知山駅に向かったわけです。山陰特急はまだ文字だけのヘッドサインでした。

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オハフ33 395
そろそろ旧客が危ういかも、なんて思いながらシャッターを切りました。留置されていた旧客を一通り撮影してから福知山へ。

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キハ47 1022
やってきました福知山駅。全然ノスタルジーにはなれないキハ47。北海道には存在しない形式です。ピッカピッカですな。これはこれで気持ちいいっす。


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スエ71 17
こういう車両が「お宝発見!」という気分にさせてくれます。「福知山機関区救援車」と表記されています。出自なんか皆目見当もつきません。救援車の多くは(ほぼ全部かも)様々なタネ車から改造されており、これもその一つ。折妻が何となく出身の良さを感じさせます。なんかいいです。

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マニ61 210
マニ61?マニ60なら北海道でたくさん目にしたけど、などと思いながらシャッターを切りました。マニ60とは台車が違うだけのようです。客車は台車を履き替えたり重量が変わると形式が変わるので何とも厄介です。曲者です。荷物車や荷物列車は死語になりました。


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トラ150004とワム68487
一見しただけではトラの形式が分かりませんが、これはトラ45000形式です。なんでやねん、と突っ込みたくなります。トラ45000からトラ53183まで8184両が製造され、トラ150004は改造を受けて+100000とされた車だそうです(Wikiより)。大量に製造された貨車は車番を見ただけでは形式が分かりませんでしたね。ワムの方は「後藤工場 配給車代用」とあります。2両とも、部品などを工場へ輸送するために使われていたのではと想像します。

今回も黄色化した見苦しい画像で恐縮です。

撮影:昭和58(1983)年4月23日 京都駅、福知山駅