ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

湘南顔

何事にも流行というものがありまして、鉄道界とて例外ではございません。戦前には「流線形」というスタイルが一世を風靡し、蒸機ではC53とC55の一部がそのエジキとなり、力学的効果がほぼ皆無なスタイルにされて検修現場から「やりにくくてしょーがねー」と不満噴出、戦後は普通の姿に変えられましたっけ。ムーミンことEF55は、片側の運転台だけ流線形というおかしな機関車でした。電機なのに、転車台で転向していた世話のかかる機関車。D51の初期車、通称「ナメクジ」も流線形を意識したデザインと言われています。

戦後、疲弊した国鉄が立ち直る中で東海道本線に颯爽と登場した80系電車、いわゆる湘南電車。それまで電車といえば近郊向けの短距離輸送にしか使われてきませんでしたが、この80系は長距離運用を可能とし、客車列車を次々と置き換えてゆきました。それが今日の新幹線へと大発展することになります。クモユニ81を先頭に、16両もの長大編成を連ねて走る姿はさぞや圧巻だったでしょう。

そんな画期的な80系電車は、チョコレート色ばかりであった電車群の中にあって、緑色と橙色の湘南色をまとい、ひときわ存在感を際立たせておりました。その後、用途や地域を意識した車体のカラーリングが一斉に花開くことになります。

余計な前置きでしたが、80系のもうひとつの特徴はその顔です。昭和25(1950)年より登場したクハ86の、鼻筋通る、傾斜を帯びた2枚窓。その顔はまたたくまに全国の鉄道車両に普及を見ます。


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身延線で活躍していた晩年の80系ですが、その表情に長年の疲れや衰えは感じさせません。
ちょっととぼけた感じの表情がとてもキュートです。
この湘南顔は国鉄だけでなく、私鉄にも普及します。写真がないのでここでは紹介できませんけど。


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機関車の湘南顔といえばEF58。戦前に製造が開始されましたが、戦後、車体デザインを刷新して昭和27(1952)年に登場したのがこのスタイル。窓がHゴム化されたり窓の上に庇が付いたりと、地域や年代によってアレンジされていました。機関車らしく80系電車よりも引き締まった表情に見え、ステンレスの飾り帯とともに風格を醸し出しています。

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名鉄の湘南顔である5000系。鼻筋は通っていませんので、準湘南顔とでもしておきましょうか。こちらは昭和30(1955)年の登場ですが、その前の年に登場した東急の青ガエルこと5000系もまた湘南顔で、鼻筋は通っていましたが、しもぶくれで愛嬌たっぷりな顔でした。

札幌にあった定山渓鉄道でも気動車電気機関車が湘南顔をしておりました。

しかし国鉄では80系の後継となる91系、後の153系が登場すると、運転台は貫通扉付きとなり、それがいわゆる東海形と呼ばれるスタイルになるわけですが、その顔がたちまち全国の電車に普及します。直流111、113、115、165系、交直流401、421、451、471系、交流711系。通勤形と特急形以外の電車はすべて東海顔となり、湘南顔は次々と姿を消してゆきました。

湘南ではない豊橋駅で見かけた三つの湘南顔の写真を見ながら、そんなことを考えていました。

昭和56(1981)年10月31日