ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

帯広

線路の高架化によって、町の様子はエグイほど変わってしまいます。札幌もそうですが、帯広もなかなかのもので。
士幌線広尾線の蒸機をまとめて撮影しようと、帯広に行きました。

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当時の帯広駅で東側になります。国道236号線の陸橋から撮影しました。現在の街並みとは全く結びつきません。線路も貨車も沢山あります。左手には運転区があり、9600や気動車が休んでいました。早朝から9600が貨車の入換にあっちへこっちへと走り回っておりました。

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こちらは帯広駅の西側。士幌線の貨物列車が帯広に到着するところです。
右に見える塀に書かれた「中島産婦人科増(築予定地)」の文字。帯広で中島といえば、あ~の中島みゆきさんです。そう、この病院は彼女の実家でありました。
病院そのものは画面の右側にフレームアウトしております。彼女はこの頃すでにデビューして名もそれなりに売れていましたが、私はまだよく知らない頃で、病院の玄関は踏切のすぐそばにあり、随分と喧しいところに建っているもんだ、赤ん坊もうるさくて眠れないんじゃなかろうか、くらいにしか思っていませんでした。
その後、熱烈なファンの一人になりコンサートや「夜会」にもよく出かけましたし、「オールナイトニッポン」は300回以上録音しましたが、FM東京の番組があまりにつまらなさ過ぎて21世紀を前に急速に醒めてしまい今ではファン脱落です。各種ラジオ番組の録音テープ(およそ600本)もCDもCDVもVHSもLDもポスターも写真集もコンサートグッズも、すべて処分しました。かろうじてLPが数枚、処分のしようがなくて残っています。

北海道全体の人口は年々減少していますが、一部の都市部だけはどんどん道路が整備され建物で埋め尽くされていきます。

昭和50(1975)年4月2日