ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

札幌駅近くの平凡な風景

正月明けに、何となく撮影しました。親戚の新年会の集まりを撮影し、その残ったフィルムの消化だったか?

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場所は、苗穂方の踏切と石狩街道陸橋の間になります。文字がちっちゃいですが、ヘッドサインは「おおとり」です。空や雪が黄色っぽいのは、カラーネガの変色によるものです。
白いESTAビル(当時はそごうデパートが入居)と奥に見えるセンチュリーホテルだけが今も変わらぬ姿で建っています。

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ちゃんと線路の敷地外で撮影してますよ。当時は札幌駅の苗穂方に、ガッツリした撮影の邪魔になるような柵はありませんでした。
国鉄では無煙化後も更なる合理化を目指して、ローカル線の貨物列車や赤字線の廃止が検討されており、あちこちでそれに反対する看板を見かけたものです。反対反対と叫ぶだけの姿は今のどこかの野党と変わりありません。結局、国鉄自体が解体されるわけですが、それが再建のために正しかったのかどうか、誰にも分かりません。ただ、ストライキサボタージュで国民の足や物流を混乱に陥れた組合員を罰する、懲らしめるという側面はあったようです。


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キハ22の普通列車。タラコ色に塗り替えられている時期でしたが、ツートンの標準色車もまだ健在でした。タラコ色の採用目的は、塗装工程の簡略化にあったわけですが、JR化後、地方色と称してゴテゴテした塗色が各地で沸き起こったのはその反動だったのでしょうか。イメージ戦略だったのかもしれませんが、あまりに安易だったような気がしてなりません。ジョイフルトレインなんてのも各JRで製造しましたが、所詮は改造車、早い老朽化と共にバブル景気が弾けるのに合わせ、泡沫のごとく、10年程度で次々と引退してしまいました。

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石狩街道陸橋下。陸橋の下なので、雪は積もっていません。
列車写真に飽きると、こんな写真も撮ったりして。列車写真もまともに撮れてないくせに、いきがっていたのかもしれません。テレビドラマか何かの一場面に影響を受けていたのかな。

昭和54(1979)年1月7日