目が覚めたら誰もいなかった。
一瞬、どっきりしますわなあ。あれだけ居たファンが人っ子一人いなくなって、自分だけが待合室にポツンだなんて。一遍に目が覚めましたわ。
慌てて時計を見るとまもなく下り列車が到着する頃だったので、急いで紅葉山駅を出ます。
まぶしい!しばれるう!
流石に汗をも凍らせた深夜のシバレの威力は、陽が上った朝になってもまだ衰えをみせません。手袋を2枚重ねにして対抗します。これで、ばっちぐー。
これから来る1791列車は、紅葉山駅で45分以上停車するので、まず駅に到着するところを撮ります。国道を十三里側へ進み、夕張川の橋のたもとでカメラを構えます。線路は川と山の間の狭隘な空間を縫うように敷かれており、一方、建設中の新線は山の中をトンネルでズッドンと突き抜けています。
定刻、真っ白な蒸気を高々と吹き上げて列車は近づいてきました。厚手の手袋越しにシャッターチャンスを待ち構えます。「よし!」とマジで声に出してシャッターを押した直後「じ~~~~」と無慈悲な音が。「え!?」ここでもマジに声を出しちゃう。セルフタイマーの音です。10秒間、凍結状態です。え?あ?あれ?なんで?
このクソカメラには、レンズの胴部分にセルフタイマーのレバーが少し飛び出した格好で付いており、厚手の手袋が気づかぬ間にこれを押し下げてセットしていたという次第。
幾ら蒸機が牽く貨物列車とはいえ、そしてそれが駅に到着するところとはいえ、10秒間もあれば結構な距離を走ってしまいます。その姿を為すすべもなく見送るだけの心境を分かっていただけるでしょうか。唖然、呆然、愕然。逃した魚は大きいのたとえ通り、モノトーンの世界にあって、朝日に輝く蒸気と背景の山とのコントラスト、そして夕張川の川面からの反射光の美しさは脳内で増幅され、今でも最高傑作として心の中に刻み込まれています。虚しい。
「自分のバカバカバカ」と百万遍唱えて反省したいところですが、バカは取りあえず置いておき、駅に戻ります。
D51 465
1791列車の牽引機が入換をしています。フィルムはゆうべからの続きなので、増感して粒子がとても粗いです。ネオパンSSSをASA1600に増感したんだったか。
紅葉山駅構内で発車待ちの1791列車
予定ではこの後、列車で沼ノ沢へ移動してこの1791列車を撮ることにしていたのですが、変更して、沼ノ沢方の夕張川で撮ることにします。
紅葉山→沼ノ沢 1791列車 D51 465
しかし、一度あることは二度あると、だ~れが言ったか、くっくろびん、と。
10秒ルールをまたしても発動してしまった自分て、どんだけバカなの。アホなの。間抜けなの。でも一番悪いのはこのカメラだ!即刻死刑!とばかりにカメラを大きく振りかざして夕張川の藻屑へ・・・となりそうなところでかろうじて踏みとどまり、大きく深呼吸。今ここで撮影を中断したら、この先ぜってー後悔すること間違いなし、何とかして最後までやり抜くんだ、立つんだジョー!そんな丹下段平の声が聞こえた気がして、そっとカメラをバッグにしまいこみました。
2度目の最高傑作を心に焼き付け、そのまま沼ノ沢駅まで歩いてゆきます。
沼ノ沢駅 北炭真谷地専用線の機関車DD1002
興味がなかったせいでしょうか、撮影した記憶はありません。興味がなかったのに撮影したというのは、動くモノに反応した動物的反射行動でしょうか。心のダメージはかなり大きかったのだと思います。
時間はたっぷりあるし、この先、清水沢駅まで歩いてゆきます。道路左側を歩いていたら、途中、ボックスカーが横付けし「一緒に乗ってゆくかい」というやさしいファンのお兄様方に声をかけられました。でも、しばらく一人で居たかったのでお断りしました。ごめんなさいね、お兄様方。でも実際は、車で撮影に回っているほどだから機材もとことん立派で、そんな人たちと一緒に撮影するなんて気恥ずかしい、惨めな気分になっちゃう、といった心境が支配的だったのです。どこまで心が荒んでんだ、自分。まあ見栄を張りたいというのはお年頃の証拠。見栄っ張りは、いい年こいた大人にもたくさんいるけどさ。
何だかんだで清水沢駅に到着し、その先まで行ってみます。
鹿ノ谷→清水沢駅 726D
そこへ大夕張鉄道のDLが入換に姿を現しました。「DL-55No.2」とあります。
次位の無蓋貨車はトラ55000形式。「コトラ」は見慣れていましたが「ストラ」とはなんぞや。って、今ウィキで調べたら「スチール」の「ス」だと。トラ55000形式のストラ55796であります。詳しくは各自で調査のこと。(誰に言ってる?)
大夕張鉄道を撮影したのはこれが最初で最後になりました。
同上 単5782列車 D51 1086
清水沢駅 5792列車 D51 1086
機関士さんがナンバープレートの拓本を採っています。いや、お手伝いしているのが機関士さんでしょうか。
南清水沢←清水沢 5792列車 D51 1086
この場所がどこなのか、ず~っと分らずにおりました。グーグルマップで確認するも、写真の手前に写るそれと思われる道路は工事中でストリートビューができません。後で分からなくなるような場所で撮影する自分も自分だけれども、どこで撮影したのか分からなくなる自分も自分です。一応、地図を持ち歩いて場所を確認していたハズなのですが、やはり徘徊状態で歩いていたのでしょうか。若い頃からそんなことをしなくても、じきにそうなるのにね。
色々な自己問題と対峙してきた蒸機列車最終日でありますが、この後、残り半日の撮影に臨むことになります。それは8月8日の記事へバックするのですが、時間が余って暇で死にそうな方はどうぞ。
モノクロネガ蒸機編、これにて一巻の終わりにございます。
昭和50(1975)年12月24日