ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

夕刻の紅葉山

再掲はいい加減にせいよ、といったお叱りはないだろうと思って、今回も再掲画像です。でも、スキャンし直した画像ですから~、と一応弁明したりして。

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15:17 紅葉山→十三里 5784列車 D51 767

右手奥には紅葉山駅の跨線橋が見え、待機する9799列車の煙が見えます。

言うまでもありませんが、紅葉山は現在は新夕張と駅名を変え、列車後方に見える小高い丘の上にあります。当然、線路も一部付け替えられており、旧線はトンネルをくぐることもなく、川沿いを走って十三里駅と結んでいました。また旧線の山側に沿って旧道が走り、こちらは途中でトンネルをくぐっていました。トンネルの中を歩くのがイヤだったので、歩いたことはありません。

 

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16:04 沼ノ沢←紅葉山 9799列車 D51 333か?

工事が遅れている石勝線の下をくぐり、夕張川を渡ります。左に見える工事中の橋梁が、夕張線が石勝線となってから供用されるコンクリート橋です。取り残された橋脚は複線時代に使用されたもので、この様な名残はあちこちで見ることができ、清水沢~鹿ノ谷間の夕張線唯一のトンネル、稚南部(わっかなんべ)トンネルも複線時代を思い起こさせる存在でした。

 

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16:25 紅葉山→沼ノ沢 5785列車 D51 70

1/4というシャッター速度で無茶して撮った写真なので、どれも手振れを起こしています。最後の写真だけがトワイライト色に染まっていますが、実際のところどうだったのかは覚えていません。

紅葉山を発車する貨物列車は、上下ともかなり煙を吐くので、ファンには人気のスポットでした。構内は広く、怒号が飛ぶようなことはなかったと思います。

 

蒸機全廃まで1年を切った時であり、どんな写真を撮ったらいいのか悩んだものです。それよりも少しは大学受験を心配しろよと、周囲からは言われたとか言われなかったとか。

 

昭和49(1974)年12月27日

 

自粛要請により家に籠って生活している人が増えたせいでしょうか、YouTubeの視聴回数は微増しているのですが、なぜか収益は微減しているという謎の現象。グローバルな景気悪化で、スポンサーが撤退しているのでしょうか。

東京都の1日の感染者確定数は増加に歯止めがかからず、昨日とうとう200人を超えてしまいました。でも、欧州や米国のような感染爆発には至っていません。実際には数字を遥かに上回る感染者がいることに疑問の余地はありませんが、問題とすべきは重症・重篤者と死亡者の数。人口100万人あたりの死亡者数では2人と、三桁台の欧州・米国とは比べ物になりません。危機感を抱いた都民が増え、自粛に耐えた結果と見ることもできますが、この先、感染爆発が起きないという保証は全くありませんから、緊張感はなかなか解けません。

昨日の、突然の札沼線非電化区間の最終列車運行は、正しい判断だと思います。誰しも正常性バイアスが働き、自分だけは大丈夫と思いがちですが、新コロはそういう人間の心理を見事に突いて感染拡大を図る憎いワザを持ちます。しかもいつの間にか感染し、感染者本人が気づかぬうちに他の人にも乗り移ろうというのですから、何とも小賢しい限りで、味方につけたら強力な戦力になると思うほどです。

収束も終息もまだ全然先が見えない現状ですが、自分や大切な人の命を守るため、そして医療現場を守るために、もうしばらくはじっと耐えなくてはなりませんね。