蒸気機関車による石炭輸送の最後の姿を見ることのできたあの頃を偲んで、ビデオカメラを回しました。C11が先頭に立ったのは新夕張から夕張までの片道のみでした。
追分駅 駅長が往時のコスプレで回送列車の入線を迎えます。
追分駅 追分機関区のOBの方々でしょうか。ナッパ服に身を包む姿に、機関士としての誇りを感じます。機関車を運転するのは、やはり運転士より機関士の呼び名の方がしっくりきます。
新夕張→沼ノ沢 夕張川を渡ります。蒸気機関車終焉の頃、まだこのコンクリート橋はなく、手前の少し低い位置にガーダー橋が架けられていました。
沼ノ沢駅のホーム端から新夕張側の踏切を狙います。かつては真谷地専用線の引き込み線が夕張支線の左側に敷かれていたので、踏切も歩道橋も幅があります。
沼ノ沢駅 近所の人たちでしょうか、若い親子が見学に訪れています。炭鉱がこの街を支えていた時代を知らないでしょうね。草が生い茂る広い構内には、かつて線路が何本も敷かれていました。
南清水沢←沼ノ沢 再び夕張川を渡ります。
清水沢→鹿ノ谷 左の舗装された遊歩道は、かつての夕張鉄道の線路跡です。立ち位置のすぐそばに「若菜」という駅がありました。
鹿ノ谷→夕張 沿線には鉄道ファンの姿はもとより、若い家族連れの姿も目立ちました。
夕張駅 終点です。蒸機現役時代には、更に数 km先に駅があり、その場所が「石炭の歴史村」となっていました。現役時代にはその吐き出す煤煙で乗客から嫌われていた蒸気機関車も、今や老若男女問わず、人気者です。
飲食料はAコープで、ガソリンは地元のスタンドで、くらいでしか地元にお金は落とせませんでした。
市長の判断でバス転換となりますが、地元にとって便利になるのであれば、それが最善策であると思います。
平成20(2008)年9月