ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

石勝線のマヤ検

初めて石勝線でマヤ検を撮影したのは、平成9(1997)年10月のこと。車で撮影に行くようになって数か月後のことでした。それまでは千歳線や札幌駅では撮っていましたが、いずれも夜の駅撮りだったので、何とか日中に走行シーンを撮影したいと思っていたところへ運転情報が空から降ってきました。
石勝線の追分~夕張を検測するマヤ検は、始発は苫小牧かどこかでしたが、室蘭本線岩見沢まで北上し、折り返し追分から石勝線に入りました。夕張で折り返して、追分から苫小牧方面へ帰っていったわけですが、室蘭本線も石勝線もキチンと1往復してくれるので撮影回数を稼ぐことはできました。あの頃はキハ56がマヤをサンドイッチしており、清水沢駅でのタブレット交換シーンも撮影できて、し・あ・わ・せ。

その後、何度か空からの運転情報に恵まれ、撮影に行ったものです。

あれから10年以上が経過し、ビデオカメラがハイビジョンになったところで、またまた空から運転情報が降ってくる幸運に恵まれました。
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滝ノ下(信)←川端 試9265D
室蘭本線遠浅駅と志文と栗沢駅で撮った後になります。道路があって広いのは、かつて夕張線が複線だったからでしょう。川端の東追分方にある跨線橋から線路を見下ろすと、まさに複線だったことが分かりますね。今はこの場所に立ち入れないかも。

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滝ノ上駅
保守用列車が留置されていました。バラスト散布でしょうね。春先なので草は全部おねんねして、足回りスッキリ。でも今はこの駅の周辺には、鹿柵が張り巡らされており、撮影には苦労しそうです。

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南清水沢←沼ノ沢 夕張川第1橋梁
夕張支線に入りました。「SL夕張応援号」を撮影したことのある、ちょっとお気に入りの場所です。他に誰もいません。

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鹿ノ谷→夕張
夕張駅手前の踏切付近で、残雪の山に上がって手持ち撮影です。線路に沿った遊歩道は、かつての夕張鉄道の線路跡。炭鉱が賑わっていた頃に思いを馳せたりしますが、炭鉱事故で大勢の鉱夫が犠牲になったことを思うと、複雑な気持ちになります。

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この日は祝日なので、他にもファンが追いかけてきてました。でも、こんだけ。某鉄道会社の社員もいて、「あんたがスジ引いたのかい」と聞いてみましたが、「ちゃうで」と言われました。それにしても天気も最高で、文句なしの撮影日和です。

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新夕張←沼ノ沢
タブレット閉塞時代には、清水沢駅での撮影にこだわっていましたが、それがなくなると自由度が増して、走行シーンに集中できます。
夕張川第2橋梁を渡ります。後日、ある知人は、向こうの山の中腹から撮ったと言ってました。順光だもんね。やるな。
この後、安平駅へ先回りして、この日の撮影は終了。結局、八か所でマヤ検を撮影できましたが、朝5時前から定期の列車も撮影していたので、夕方4時過ぎに撮影を終えて、11時間もの撮影を楽しみました。

これ以降、天を仰いでも運転情報が降ってくることはなく、石勝線でのマヤ検撮影はこれが最後となってしまいました。
長年活躍してきたマヤ34もいよいよ定年を迎え、マヤ35から引導を渡されることでしょう。マヤ35なんて、いまだに目撃してませんってば。

平成21(2009)年4月29日