ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

植苗へ その2

植苗で午後からの撮影です。

イメージ 1
植苗→沼ノ端 1792列車 DD51 654

イメージ 2

イメージ 3
沼ノ端→植苗 731D キハユニ25 3+キハ12 22+キハ26 118+キハ21→札幌方

イメージ 4
沼ノ端→植苗 1793列車 DD51 1136

イメージ 5
沼ノ端←植苗 5764列車 DD51 1154

イメージ 6
沼ノ端←植苗 5960列車 DD51 677

イメージ 7
遠浅→沼ノ端 226列車 DD51 1155

イメージ 8
沼ノ端←植苗 4D 特急「おおぞら1号」

イメージ 9
沼ノ端→植苗 4181列車 DD51 700

イメージ 10
沼ノ端←遠浅 2460列車 DD51 1078

イメージ 11
沼ノ端→植苗 9767列車 DD51 1067

イメージ 12
遠浅→沼ノ端 5790列車 DD51 1074

イメージ 13

イメージ 14
遠浅←沼ノ端 5293列車 DD51 1151

イメージ 15
植苗→沼ノ端 730D キハ21 71ほか

イメージ 16
植苗→沼ノ端 9766列車 DD51 594

イメージ 17
沼ノ端→植苗 209D 急行「ちとせ6号」

イメージ 18
遠浅←沼ノ端 6371列車 DD51 598

イメージ 19
遠浅→沼ノ端 2462列車 DD51 614

イメージ 20
遠浅→沼ノ端 228列車 DD51 1098

この時点で15時21分、まだまだ明るいですけれどもうお腹一杯。フィルムもちょうど無くなりかけていますので帰ります。

行きはキハ12、帰りはキハ17としゃれこみます。
イメージ 21
735D キハ17 259

なくなりそうだと聞けば急に愛おしくなるのは人間のサガでしょうか。キハ17系もそのひとつ。ひじ掛けもないので居眠りするには窓際以外は体勢を整えるのは難しそうです。

運転席後部にはブラインドが下ろされています。もともとはトンネル通過時や夜間運転時に、運転窓に客室内が映り込んで運転に支障を来すということから備えられたものですが、常時これを下ろすようになると、運転士が停車中にマンガを読みふけるなどして乗客からクレームが出るようになります。ストで国民に迷惑をかけるわ、勤務態度は悪いわで、この当時の国鉄は何かにつけ槍玉に挙げられておりました。

この当時、喫煙規制はまだユルユルだったので禁煙車はありませんでした。キハ17には「混雑時のおタバコはご遠慮下さい」が、寝台車の寝台には「寝台でのお煙草はご遠慮下さい」という札が貼ってあったくらいです。駅での禁煙時間帯というものもなかったように思います。
そういうご時世ではありましたが、電車、気動車の運転士は基本的に喫煙はしていなかったようです。やはり乗客の目を意識してのことだと思います。一方、機関車の方には灰皿が用意されていて、機関士の喫煙は自由でした。DD51にもED76にも灰皿は付いています。機関車キャブ内は乗客の目に触れることはありませんし、蒸気機関車時代からの流れがあったのかもしれません。
因みに現在でも喫煙は禁止されているわけではないようです。眠気覚ましといった効果があるわけですし。ですから、運転士がガムを噛んだりアメを舐めたりしていても決してクレームなど付けないようにお願いします。

また運転士が居眠りをしているようでしたら、スマホなどで撮影するよりも先に、まずドアを叩くなどして起こして欲しいですね。画像をアップして得意がっている連中には反吐が出そうです。運転士が居眠りしても列車は暴走することなく自動的に停車します。そんなことも知らないマスコミが居眠り運転をことさら重大事故のように騒ぎ立てるのもうんざりです。まあ確かに気の弛みは重大事故の引き金にはなりますけど。

昭和52(1977)年3月29日