ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

ラサ工業

「ここ、空いていますか?」
そんな声に起こされたのだと思う。時計を見ると午前3時40分。やべ!仙台駅じゃん!慌てて下車。危うく寝過ごすところであった。

青森からの上り急行「十和田3号」でグッスリ寝ないように気を付けていたのですが、ついうっかり寝入ってしまったようです。仙台で降り損なったら、昨日に引き続き、またもや大幅に計画が狂うところでした。
もっとも、実は江ノ電から予定はすっかり変わっていたんですけどね。

仙台からは下り急行「いわて3号」で盛岡までバックするのですが、それを待つまでの1時間40分もの間、駅のホームで一体何をしていたのかさっぱり思い出せません。

盛岡駅でも乗り継ぎに40分以上あったので、駅撮りで時間を潰します。
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スロ81 2108
北海道にあるお座敷車はキロ27だけなので、こういう客車タイプが羨ましいです。

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34M 特急「やまびこ2号」

盛岡からは山田線に乗車して宮古を目指します。乗ったのは急行「そとやま」。山田線~釜石線東北本線を経由して盛岡に戻る循環急行です。逆回りは急行「五葉」といいます。

さて宮古に到着です。駅からどのように歩いて行ったのかは全然覚えていませんが、ラサ工業宮古工場の受付に行ってます。ラサ工業といえばC10形式8号機が現役で入換に使われていることで有名でした。
その時点で稼働しているかどうかは分かりませんでしたが、受付の人に尋ねると「引退して倉庫の中に保管してある」とのことでした。見せてもらえないかとお願いしましたがダメとのことで、ガックリしていると「この後、ディーゼル機関車国鉄に貨車を引き渡しに出てゆく」と受付の人はその場所を教えてくれました。
生憎その時刻が分からないということでしたので、トンネルから顔を出すシーンを撮るべく急ぎ足で現場へ向かいました。
がしかし、入換の方が先に来てしまいました。

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本当はこの先の奥の方まで行きたかったのです。機関車はDD5201と言います。国鉄のDD16タイプのようです。側面の塗色は薄いオレンジに黄色い帯だったような気がしますが、他の機関車と勘違いしているかもしれません。カラー写真でないのが惜しまれます。

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ストリートビューを見ると、線路跡は道路になっています。この時も狭いながら道路はありますけど。

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あまり間を置かず、宮古方面から貨車が牽かれてきました。機関車のすぐ前で線路が分岐していますが、どちらも入換用の引き込み線です。その右下に山田線が走っており、その信号機が頭だけ見せています。

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DD52よりも一回り大きいDE10 1501です。窓の防護網が物々しいです。

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先に国鉄線の引き込み線にDD52が貨車を引き上げていました。

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DD52は貨車を切り離すとそのままバックして貨車から離れてゆきます。

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DE10もワフだけを連結したまま、貨車を置いてゆきます。

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DD52が置いて行った貨車にDE10が連結します。

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今度はDD52が、DE10の置いて行った貨車に連結します。

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先にDD52が貨車を分岐器まで引き上げます。

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立ち位置を変えます。DD52が推進運転で工場へ引き上げてゆきます。

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後ろに建つ二軒の家は今でもあるようです。立ち位置は駐車場になっているようです。

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大きくカーブした先にはトンネルがあって、そこを潜るとラサ工業宮古工場があります。

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機関車の先に、山田線の気動車列車が見えます。釜石方面に向かっています。
DE10も推進運転で宮古駅へ戻ります。
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さようなら~。

昭和52(1977)年8月28日