ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

貨車の墓場

おそらくは国鉄労働組合が違法な順法ストと業務怠慢に明け暮れ、日本国民に散々迷惑をかけまくり敵に回したからだと思います。多くの荷主は、スト運休で全くアテにならない国鉄に見切りをつけて、どんどん道路輸送に転換していった結果、多くのローカル線から貨物列車が廃止されました。そして幹線の貨物列車も、それまでのヤード継送方式を止めて、拠点直行方式への転換を図りました。この大転換により、全国の多くの操車場が廃止され、また車扱い貨物が激減したことで、大量の貨車が廃車されました。

横須賀線に乗車し新川崎駅で下車すると、すぐ目の前が新鶴見操車場で、同じ構内には新鶴見機関区の機関車が数多く留置されていました。しかし、その機関車の数を百倍は上回るであろう夥しい数の貨車が、操車場に留置されていました。
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おそらく、北側の機関区方面を見ているのだと思います。
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EF65が何両も居ます。

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しかし目線を操車場構内へ移すと、そこには膨大な数の貨車群が静かに留置されておりました。手前の有蓋貨車は車輪を抜かれトキ改造車の上に載っています。丙種鉄道車両輸送でしょうか?構内を横切るのは鹿島田跨線橋
その鹿島田跨線橋を移動しながら撮影しました。
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奥に建設中のマンションで、ある程度場所は特定できるでしょうか。

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入換に従事していたDD13も、仕事を失い敢え無く廃車です。あれだけ全国各地で活躍してきたDD13でしたが、JRにはたったの1両も引き継がれませんでした。液体式ディーゼル機関車の草分けでしたのに残念なことです。この数年後には、同様の理由でDE11も大量に廃車されますし、山から下りて東海道本線で荷物列車を牽いていたEF62も大量に廃車されて、この場所へ屍を並べることになります。

昭和61(1986)年には荷物輸送と郵便輸送も廃止され、国鉄末期の線路からは特徴ある列車たちが次々と姿を消していったのでした。そういえば今、苗穂工場には旭川から来たスユニ50 511が居るとか居ないとか。

昭和59(1984)年11月11日