おそらくは国鉄の労働組合が違法な順法ストと業務怠慢に明け暮れ、日本国民に散々迷惑をかけまくり敵に回したからだと思います。多くの荷主は、スト運休で全くアテにならない国鉄に見切りをつけて、どんどん道路輸送に転換していった結果、多くのローカル線から貨物列車が廃止されました。そして幹線の貨物列車も、それまでのヤード継送方式を止めて、拠点直行方式への転換を図りました。この大転換により、全国の多くの操車場が廃止され、また車扱い貨物が激減したことで、大量の貨車が廃車されました。
横須賀線に乗車し新川崎駅で下車すると、すぐ目の前が新鶴見操車場で、同じ構内には新鶴見機関区の機関車が数多く留置されていました。しかし、その機関車の数を百倍は上回るであろう夥しい数の貨車が、操車場に留置されていました。


EF65が何両も居ます。

しかし目線を操車場構内へ移すと、そこには膨大な数の貨車群が静かに留置されておりました。手前の有蓋貨車は車輪を抜かれトキ改造車の上に載っています。丙種鉄道車両輸送でしょうか?構内を横切るのは鹿島田跨線橋。
奥に建設中のマンションで、ある程度場所は特定できるでしょうか。

昭和61(1986)年には荷物輸送と郵便輸送も廃止され、国鉄末期の線路からは特徴ある列車たちが次々と姿を消していったのでした。そういえば今、苗穂工場には旭川から来たスユニ50 511が居るとか居ないとか。
昭和59(1984)年11月11日





