ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

小坂鉄道

ふと目が覚めると新庄駅を発車したところでした。新庄駅で上り急行「津軽2号」から下り急行「津軽1号」に乗り換えると、午前8時前には大館駅に到着できたのですが、うっかり寝過ごしてしまいました。慌てても仕方ないので、山形駅で折り返すこととし、「おが2号」「津軽2号」と、下り急行列車2本乗り継ぎで、当初の予定から3時間遅れで大館駅に到着しました。

国鉄大館駅と小坂鉄道の大館駅とは少し離れているのですが、この目印ですぐに分かりました。「同」の字が示すように、この当時は同和鉱業の鉄道でした。
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スケジュールが遅れた分、遠くで撮影する余裕がありませんので、まずは駅に入ってホームで撮影します。貨車が一杯。
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国鉄DD13と形式も同じ、瓜二つのスタイルです。
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ワフ28000。何だかワフワフもといワクワクしちゃいます。
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DD12ディーゼル機関車。しばらく後で、花岡線の貨物列車を牽いてゆきました。

小坂方面から気動車が到着します。
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結構、乗客が降りてきました。午前11時頃です。

乗客を降ろすと、ほどなく発車してゆきました。
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貨物列車も発車・・・したんだかただの入換だったか、もう覚えていません。
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この後にコダクロームに入れ替えて、駅の近くで走行シーンを撮影します。
国鉄大館駅に戻り、下り急行「千秋1号」で大鰐に向かいます。
大鰐では弘南鉄道大鰐線を撮影するも、またもや雨の中。しかもコダクローム。その成果、推して知るべし。更に弘前へ出て、弘南鉄道弘南線もコダクロームで撮影。もう特に記すこともないので青森へ出ます。

青森からは上り急行「十和田3号」に乗車し、冷房の利いた心地よい14系客車の腰掛に身を沈め、深い眠りに就いたのでありました。

昭和52(1977)年8月27日