ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

煙は空振りだったけれども

イメージ 5
門司駅

「日南10号」ではぐっすり眠れた、のかどうかは覚えていませんが、無事に門司駅に到着です。

イメージ 1
512列車 急行「日南10号」 ED76 82
一晩お世話になりました。

イメージ 2
寝台車は20系客車でした。本来20系は専用編成として設計されているので、こうした異形式との編成は想定していなかったハズで、その凋落ぶりの表れと言えるでしょうか。

イメージ 3
ナハネフ22 1008
3本あったハズのクリーム色の帯は2本になり、番号は1000番代になっています。電源車が連結されていないので、スハフ12からサービス電源を供給してもらっています。出入り口扉は自動化されました。老体に鞭打ち稼働していること自体をファンとしては喜ぶべきでしょうか。

イメージ 4
EF30 5

イメージ 6
貨物列車 EF30 10+EF30 19

イメージ 7
522M 421系
401系と並んで、交直流電車のパイオニアです。この形式が成功したことで485系誕生への道筋ができました。

イメージ 8
106列車 急行「かいもん6号」 ED76 59

門司を後にして小郡へ、乗り換えて普通列車山口線に入ります。

イメージ 9
篠目駅(539D キハ23 30より) 1021D 特急「おき1号」

鍋倉駅で下車します。降車客の中に鉄道ファンは私一人。

イメージ 10
徳佐→鍋倉 538D
山口線には20系、35系、40系、45系、55系、58系、181系と多くの種類の気動車が走っています。

イメージ 11
徳佐←鍋倉 9521列車 C57 1
特にコメントありません。煙もありません。

イメージ 12
鍋倉→徳佐 541D

イメージ 13
鍋倉駅 1023D 特急「おき3号」

イメージ 14

イメージ 15
鍋倉駅 543D
見送るお犬様と見送られるガキんちょ。窓開く車両はいいですねえ。

イメージ 16
長門峡←渡川 540D
気動車には目もくれないSLファン。先頭にはツートン色キユニ28が。全車形式がバラバラという素晴らしい編成。35系、55系、58系、40系の面々。

イメージ 17
長門峡←渡川 9522列車 C57 1
相変わらず煙はさっぱりですが、これはこれで個人的には結構気に入っています。日本的田園風景ということで。

イメージ 18

イメージ 19
篠目駅 1026D 特急「おき6号」
列車行き違いの間の撮影です。タブレットを意識した最初かもしれません。

小郡に到着し、下関行きの列車が来るまでの間、プチ撮影会。

イメージ 20
貨物列車 EF66 16
他の機関車とは一味違うスタイルが貨物牽引にはもったいない。

イメージ 21

イメージ 22

イメージ 23

イメージ 24
宇部線小野田線にはまだ旧型国電が健在でした。これはこれで味があります。まさに動く工芸品とでもいうのか。形式はさっぱり分かりませんけど。乗りたいですが時間がなく乗車は見送ります。

下関行き453Mの車窓から
イメージ 25
同時発車のはずだった949Mに後れを取ってしまいました。

イメージ 26
先ほど貨物列車を牽引してきたEF66 16。入換でしょうか。

イメージ 27
ここで新性能電車111系の本領発揮、949Mをブチ抜きました。

イメージ 28
厚狭付近 20系の食堂車ナシ20形式が大量に留置されていました。

終点の下関では車掌さんに叩き起こされました。
門司へ向かう列車まで3時間ほどありましたので、その間に銭湯へ行き、それから偽インベーダーゲームに興じました。いささか熱中し過ぎて食堂に寄る時間がなくなってしまったので駅弁と缶ビールで済ませます。ホームで写真を撮ろうという意欲も気概もさらさらなかったようです。ダメじゃんオレ。
この日の宿は「かいもん5号」~「かいもん6号」です。

昭和54(1979)年8月18日