ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

元祖キハ40顔

キハ40系といえば、888両も製造され、一般形としては全国に配置されたメジャーな気動車ですが、その先頭車の顔は、キハ40系ではない当時の郵便・荷物気動車にも採用されるほど普及しました。
ところでその顔ですが、実はキハ40系以前の形式で図面が起こされたものでした。北海道には全然馴染のない60番代形式の気動車で、キハ66・キハ67がそれです。

昭和59(1984)年7月29日 城野駅 728D 先頭キハ67 3
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後部標識灯やタイフォンの高さに違いはありますが、まさに元祖キハ40系顔です。近郊形ながら急行色の装いが何とも新鮮です。キハ66+キハ67の2両でユニットを組むハイパワーな気動車で、昭和50(1975)年3月の山陽新幹線博多延伸開業の際に、老朽化したキハ17系などの置き換え用として、筑豊地区に配備されました。近郊形車両としては、中京地区の117系電車並みに破格の出来ではないかと思います。

結局、高価な車両であり、また重装備により軸重が重いために、軟弱な路線に入線できないというハンディもあって、15編成30両だけの製造に終わり、古い気動車の置き換えはキハ40系に委ねられることになります。キハ40系の近郊形はキハ47で、これまた北海道には無縁な形式となりますが、キハ66、67からは大幅なスペックダウンとなりました。
丈夫で長持ちが国鉄形車両の特長。一部廃車は出ているものの、キハ66・67はいまだカクシャクとして北九州地区で運用にあたっているようです。