ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

新生活スタート

掲載予定の写真を漁っていたら、青森から乗車した列車は14M特急「ゆうづる10号」と判明しました。上野駅のホーム上の時計が午前6時45分頃を示している写真があったので、間違いないでしょう。
つまりこの列車に乗車してきたらしい。
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6時35分上野着 19番線 14M 特急「ゆうづる10号」

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18番線には6時22分に到着していた1002列車 特急「あけぼの2号」が停車中。
この当時、東京口寝台特急列車を除き、ヘッドマークの掲出は取り止めていました。当時の時刻表を見ると、17番線には6時35分着の1004列車 特急「あけぼの4号」が停車しているはずなのに姿がありません。尾久へ回送されるには早過ぎるし、到着が遅れていたのでしょうか。

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15番線は7時ちょうど発仙台行き 1001M 特急「ひばり1号」、16番線は7時4分発 高崎、日光行きの511M 急行「わたらせ1号・日光1号」です。通勤電車に交じって、優等列車が次々に発車します。

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13番線は金沢発の3604列車 急行「能登」が6時38分に到着していました。遠くに時計が見えます。白トビしていますが、針が6時45分あたりを指しているのが確認できました。
14番線は7時7分発秋田行きの401D 急行「おが1号」です。少ないながらも、まだディーゼル急行列車が残っていました。

朝食をどうしたのか覚えていませんが、上野から移動して、田町駅らしきホームで撮影しています。
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16列車 特急「瀬戸」

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2004列車 特急「出雲4号」の回送列車

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新幹線もついでにシャッターを切っておきます。

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列車番号不明 153系電車
165系に主要急行列車の座を譲ったとはいえ、153系は急行「伊豆」や房総急行に活躍していました。

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列車番号不明 低運転台のクハ153
この顔は愛嬌があって結構好きです。

今度は品川駅に移動したようです。
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DD13 95
DD13は全国各地で入換に従事していました。台車が確認できるような構図で、ちゃんと撮っておけばよかった。「珍しくない」と思って「番号が写っていればいい」といういい加減な気持ちだったのでしょうね。

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EF58 167
小窓にHゴム。当時のファンが嫌っていた顔ですが、そんなに毛嫌いしなくてもいいじゃん。遠くに止まっていたので、ほかに撮りようがありませんでした。

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再び田町に戻る途中の車窓にクモヤ90000などという得体のしれない電車の姿が。勿論、田町から品川に移動する時に確認していたので、カメラを構えて撮ったものです。

駅を降りて品川方面へ向かい、田町電車区が見える場所を探しました。
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山手線と京浜東北線。どちらも103系全盛期。

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185系を撮りたかったのです。とうとう見ることのなかった157系の面影を残すこの顔を拝みたかったのです。ヘッドマークは「あまぎ」。マークは中途半端な位置ですが、まあ記録ということで。

この後、横浜へ出て相模鉄道に乗り換え、希望が丘にある独身寮へ向かった・・・ような気がします。新生活のスタートは、やっぱし鉄でした。

昭和56(1981)年3月30日