ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

札幌市電、山鼻西線へ

一条線の一条電停で3カットだけ撮影した後は、同じ一条線の西側には行かず、なぜか山鼻西線に行ってしまいました。廃止区間を勘違いしたのかな?

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M100形M101号と210形213号
この頃すでに、親子電車の「子」であるTc1は運用を外れていました。
「教育大学前」は、今の「中央図書館前」になります。北海道教育大学は昭和62(1987)年に、あいの里に移転してしまいました。

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連結車 A820形A821+A822 後方は変形車の243号
登場当初、正面の番号はヘッドライトの直下にありました。
他に類を見ないヨーロピアンスタイルと評されるこの顔は、連結車A820形、A830形とディーゼル動車D1040形にだけ採用されました。

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320形323号、こちらは古めかしい顔付き。しかし登場時は画期的なデザインとされ、評価は高かったようです。
同時期に製造された200形も似た顔をしていましたが、旧車からの部品を流用していたこともあってか、いち早く廃車になってしまいました。

320形は昭和32(1957)年、A820形は昭和39(1964)年の登場。この7年間で札幌市電のデザインは画期的に向上したように思います。しかし、昭和60(1985)年に登場した8500形以降、デザインは「並」に後退し、札幌市電特有の丸味を帯びた姿から、角ばったただの箱のようになってしまいました。

昭和48(1973)年3月30日