ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

電車事業所にて

よく利用していた札幌市電の鉄北線 新琴似~北二十四条間は、昭和49(1974)年4月をもって廃止されました。市電ロスになった私は、そのおよそ一か月後、市電の姿を求めて町へ繰り出したのでありました。「すすきの」電停をスタートし、沿線を歩きながら撮影、気が付けば電車事業所に辿り着いておりました。電車が一杯、ああ幸せ。堪らない気持ちになって、事務所で許可をいただき構内に入りました。もしかすると再掲写真になるかもしれませんが、そうであればご容赦を。

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事業所に到着して歩道から1枚。やっぱ、中に入って撮んなきゃ駄目だ。

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事務所で撮影許可を頂戴し、堂々と構内で撮影に取り掛かります。因みに今から20年ほど前に尋ねた時は、撮影・立入は許可していないと断られました。

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連結車が沢山おりました。すでに休車になった車両があったのかもしれません。昭和46(1971)年12月に地下鉄南北線が開業したのに伴い、鉄北線の北二十四条~札幌間が廃止され、電車事業所の車両を鉄北線で見ることができなくなり、久々に見るその姿に懐かしさがこみ上げてきます。

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とはいえ、A800形とかA810形はあまり見た記憶がありませんでした。丸井今井さんの広告看板はお馴染みでした。

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「教育大学前」は現在の「中央図書館前」電停になります。事業所からの車両の出入りは「電車事業所前」電停ではなく、「教育大学前」電停で行っていました。

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A820形はA830形と瓜二つの顔をしていますが、出入り口が多いです。A830形の後には改造によってA850形が誕生し、分断された鉄北線で活躍していましたが、とうとう現役の姿を撮影することなく鉄北線は廃止になってしまいました。またディーゼル気動車改造のA870形もありましたが、これは遂に見ることもなく姿を消しました。新製の連結車は連結部に台車があり、1編成3台車でしたが、改造車では1編成4台車で、その分、車体長は長いものでした。

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年配のファンなら、花巻電鉄とか福島交通の馬面電車を連想するかも。かなりモダンな顔にはなっていますが。

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急カーブでも連接構造ならスムーズに曲がれます。

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車体長がA800形より短くなったことで、馬面が解消されました。中扉は片開きの1.8mもの幅広です。開閉に時間がかかるということからか、連結車ではこの形式のみの採用に終わりました。

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この時は稼働していたのかどうか。古めかしい顔の320形。

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夏季なのに、ブルームを付けたままのササラ電車。電動機が収納されているボンネットの形状は、個々の車両で微妙に異なります。ゼブラ模様も一様ではありません。この手造り感が堪りません。

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ササラ電車は全部で8両が作られ、そのうち7両は車体が鋼体化され、8号だけが木造車体のままで保存車になりました。

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雪1形であるササラ電車がブルーム式除雪車であるのに対して、雪10形はプラウ除雪車国鉄の雪掻き車・除雪機関車と同じく、ウィングで雪を脇に除けます。残念ながら稼働する姿は一度も見たことがありません。

蒸機が終焉に向かっていた頃ですが、たまには市電に触れてみるのも乙なものです。

昭和49(1974)年6月8日