ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

懐かしい市電

だいぶ前にアップした札幌市交通資料館に保存されている市電車両を、一部再掲写真も交えて再アップします。いよいよネタ不足か?

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車体の大改造によって運転台が大型1枚窓となったこのモダンなスタイルは、後の330形、210形以降に引き継がれました。この601号、実態は615号。

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ディーゼル動車の電車化に際して、電気部品を提供した形式です。暑さ対策として、大胆にも運転台の窓そのものを開く構造となっています。冬は隙間風で寒かっただろうと思います。

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車体長が長くなり、その後の標準長になりました。車体長が長くなったことにより、カーブでの偏倚を考慮し、先頭部が絞られるデザインとなりました。
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車内に入ってみました。一条線廃止の当時の告知がそのまま残されています。
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運賃表も当時の貴重な資料です。

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通称、親子電車の「子」の方です。トレーラーと呼ばれることがありますが、純粋な付随車ではなく、電動機を1基搭載しています。コンビを組むM101とは乗客が往来できない構造なので、車掌は親子それぞれの二人乗務になります。なるほど、解結作業は面倒臭そうです。今の時代なら電気連結器で一発解結でしょう。

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札幌市電の完成形と言っても過言ではないと個人的には思っているD1040形。パノラミックウィンドウに大型2個のヘッドライト。同時期に製造された連接車A820形、そしてその後継であるA830形も同様のデザインです。車体中央の両開き大型扉は乗降のしやすさを考慮したもの。地下鉄2000系の形状には、そこはかとなくD1040形の遺伝子を感じます。

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ササラディーゼル動車 DSB1号。雪1形とは一味違う車体構造が特徴的で、装甲車のような雰囲気を感じます。

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オリジナル木製車体の雪1形、雪8号。他の雪1~雪7号は車体が鋼体化されました。雪1~雪3号が現存のようです。なお、最新のササラ電車は「雪11号」ですが、初代「雪10形」は、ブルーム式ではなく、プラウ式(スノープラウ)の除雪車でした。

昭和40年代初めには営業路線が25kmを超え、朝夕のラッシュ時には、電停に何両もの電車が数珠つなぎになって、ホームに溢れる多くの乗客を次々と輸送していたそうです。しかし、車社会の渋滞を引き起こす元凶などと言い掛かりをつけられ、全国の大都市から次々と姿を消してしまいましたが、札幌市は踏ん張ってくれました。残された路線に廃止を求める声もありましたが、3年前にループ化して以来、8.9kmの路線で周回運転を行った結果、乗客は確実に増加しているようです。将来的にはJR札幌駅への乗り入れやJR苗穂駅までの延伸などといった、都市内交通としての役割を更に高める動きに期待したいです。

昭和54(1979)年5月13日