ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

新琴似駅での列車交換

性懲りもなく、札沼線のキハ53-500が活躍していた頃の写真になります。この十日ほど前に「アルコン」がラストランで終焉を迎え、50系51形も運用を終了したばかりで、とっくに古株となっているキハ53-500もいつまで走れるのだろうか、そんな思いを抱きながら新琴似駅で待ち構えていました。その割にはショボいコンパクトカメラでの撮影ってどういうこっちゃ。

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15:09 569D
お目当ての浦臼行きが到着です。先頭はキハ53 504。晩秋に雪がうっすら積もっています。1か月もすればここは雪に埋もれるでしょう。

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15:10頃 1560D
あいの里教育大からの列車が到着です。

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偶然にも、両列車の始発時刻は14:57です。

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オハフ51改造のキハ141系は元祖PDCの初代キハ40系とは違って、ガチで札沼線の主力形式になっています。しかも10月までは、倶知安までの運用もありました。でもみんなC62にばかり気を取られて、羊蹄山バックにキハ141系を撮ったファンなどほとんどいないでしょうなあ。ええ、自分も撮ってません、羊蹄山バックでは。知らなかったし。そして長万部からの山線下り最終列車2979Dは、小樽からは10両という長編成となって札幌へ帰っており、その中にキハ141系も混じっていました。その列車は11月からキハ150が2両というショボイ編成に大変身し、車内は悲しいほど大混雑の様相を呈しておりました。

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15:13 569D発車です。キハ53-500が先頭に立つと列車が引き締まって見えます(あくまでも個人の感想です)。この当時は臨時運用でキハ56が新十津川まで入線することもあり、キハ56系全般に対しての危機感はまだありませんでした。

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キハ50やキハ51はすでに空き形式になっていたので、キハ53形式500番代なんてしなくてもよかったような気がします。

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最後尾のキハ40 819に注目。以前の記事で、行先サボの位置が低い車両であることが確認できなかった番号ですが、やはり低いことが判明しました。おまけに805号と同じく、やっぱり塗色がイレギュラーです。もしかすると、一旦は塗色変更を通達してこの塗色になったものの、短期間のうちに現行の塗色へと更に変更されたのかもしれません。現場が異なる車両に同じミスを犯すとは考えられません。塗装の塗り替えについては車歴簿にはなかなか記載されないので真相は分かりませんが、きっと苗穂工場の人は知っているのでしょうねえ。ねえねえ、おせーて。

アルコン最終運転日:10月23日
赤50系51形最終運転日:10月31日

平成6(1994)年11月4日

昨日は好天だったので、夕張支線はさぞや賑わったのでしょうねえ。最後に訪れたのは4年前の春で、友人と一緒に早朝から島松や石勝線で定期列車を撮影し、「たまには夕張に行ってみる?」ということで、友人お勧めのカレーそばを食べるついでに撮影して終わっています。なので夕張支線のイメージカラーは、新緑色とカレー色となっています。最終日に行く予定はありません。人混みキライだし、個人的な思い出作りも不要なんで。