ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

賑やかだった札幌駅の朝

昭和61(1986)年11月、国鉄最後のダイヤ改正で山線から優等列車が消えるというので、有給休暇を取り、帰省しました。特急「北海」そして急行「ニセコ」が無くなってしまいます。山線に入るため、早朝に札幌駅を発ちますが、そこには夜行列車で賑わう姿がありました。

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06:25到着の急行「まりも」。所定は寝台車4両に座席車3両、それに荷物車が1両連結された8両編成でしたが、この日は荷物車は付いていませんでした。平成13(2001)7月に夜行特急「おおぞら」が「まりも」に愛称名が変わるのを記念して、この編成を真似た特急「北斗星まりも」が運転されたのも懐かしいです。

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桑園方を見ています。DD51 1077は単機回送だったか転線だったか。高架化工事が進み、沿線の様子はどんどん変わっています。

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函館からの山線経由41列車が到着です。小樽から札幌まではノンストップという急行「ニセコ」並に走ります。実際、この区間の所要時間は「ニセコ」と同じ37分です。遠くに見える、対向の番線に到着する列車は急行「大雪4号」です。
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赤文字の行先サボが特徴的です。
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スハ45系はもともと急行用の車両ですが、この時代にはすでに旧客というくくりでオンボロ車両の一員となっていました。

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SGからの蒸気に温もりを感じます。DD51も多くはSGを搭載していますが、編成が長いと蒸気が後ろの車両まで十分に届かなかったそうです。

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急行「大雪4号」は、41列車と同じ06:45の到着です。因みに急行「利尻」は05:55着で、撮影には間に合いませんでした。また臨時列車として函館からは千歳線回りの急行「すずらん58号」が設定されていましたが、これは05:59着でした。「利尻」「大雪」「まりも」「すずらん」、往年の夜行急行列車名を連ねると、胸に熱いものがこみ上げてきます。

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「大雪4号」に近づいたら「ニセコ」に変わってしまいました。寝台特急こそありませんでしたが、夜行急行列車で賑わっていた朝の札幌駅には、一日の始まりを告げる活気が満ち溢れていました。

昭和61(1986)年10月10日

今日の朝刊には、夕張支線の最終列車に関する記事が載っていました。最終列車9278Dは夕張を19:28に発車する追分行きですが、これを苫小牧まで延長運転するそうです。もともと回送列車だったものを客扱いする関係で、途中駅はノンストップとなります。で、新しい時刻表をよ~く見てみると、5往復しかなかった夕張支線の列車は、ダイヤ改正で8往復に増便されていたんですね。最終列車は3両編成で運転するようですが、乗車証明書目当ての葬式鉄(一部はヤフオクでの転売野郎)が、地元利用者を払いのけて大勢繰り出すでしょうから3両では足りないかもしれません。いさりび鉄道の「おでん列車」みたいに、最終列車は沿線住民限定にすればいいのに。