ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

ちょっとボケボケ

前回に引き続きの車両画像です。ピン、甘介です。

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おおぞら4号の回送列車

この後の写真を撮ってからのもので、札幌運転区へ引き上げるところです。

 

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10号車 キハ183-5

 

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9号車 キハ182-6

8号車は撮りこぼし

 

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7号車 キハ182-5

 

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6号車 キハ182-21

 

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5号車 キロ182-3

 

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4号車 キハ184-4

 

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3号車 キハ182-13

 

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2号車 キハ182-9

 

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1号車 キハ183-6

何をどう説明すればいいのかが分からないので説明ありません。ただ、禁煙車は1両もありません。

 

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15:54 832列車(岩見沢発、小樽行き) ED76 514

514号機は後に551号機へ改造され、津軽海峡線を走る唯一のED76となります。

奥に見えるのは網走行きの下り「おおとり」が到着したところのようです。

 

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スハ42 506

オハ35の台車を履き替えたら重たくなってしまい、改形式したもの。

 

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オハ35 731

オハ35には新製時の番代区分というものはありませんが、696号の次は700番に飛んでいます。車端部の形状が、それまでの丸屋根から折妻タイプに変更されたのが700番以降の外観的特徴なのですが、事故復旧車では例外もあるようです。

北海道向け改造車では1500番代が存在しますが、わずか2両だけの存在で、これ以外の北海道向け車両は番代区分されていません。どうして2両だけが改番されたのか、理由は分かりません。

 

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本来ならば5分間の停車なのですが、遅れて到着したため、さらっと発車してしまいました。

オハフ33の1500番代は北海道向けという意味ではありません。オハ35の緩急車化改造車で台車がTR34を履いている車両です。因みに1000番代が緩急車化改造車でTR23を履いています。ただし例外もあるとのことで、旧型客車は本当にファン泣かせです。更に電気暖房を搭載した車では番号が2000番加算されて2000番代、3000番代となったものも多数あります。

 

昭和57(1982)年1月3日 札幌駅

 

昨日、給付金の申請書が届いたので早速郵送で提出しました。一般的にはオンラインで申し込む方が手続が早そうですが、今回はシステム上の不備でもあるので、お急ぎの方は郵送でということです。記載事項は住所、氏名、電話番号に振り込み先の口座番号といった程度で、添付書類は身分を証明する運転免許証などの写しと振り込み通帳の写しだけ。写しを取るのがちょっと面倒なだけで、郵送の方が簡単なくらいです。今月は他に、年金受け取りの申請書に、自動車運転免許証更新時期の延長申請書も提出しており、申請書祭りでした。お役所仕事とは思えないほど、申請書はすぐに受理されて返信されました。今、北海道では運転免許証の更新ができない状況なのです。申請書の提出により、更新期間は3か月間延長されました。

撮っちゃえ、オッサン

すいません。何か、永ちゃんのCMが頭に浮かんでしまったので、つい出来心なタイトルになってしまいました。特に意味はありません。

前回の続きのような記事です。

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15:10 上り「おおとり」

その車両写真です。

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キハ82 100

 

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キロ80 52

 

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キハ80 160

なぜか食堂車は撮っていません。すでに撮影した車両だったからなのかもしれません。

 

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この日も、北見からの増結編成が札幌方に連結されています。本当は函館方の8、9号車になる筈なのですが。もっともそうするためには編成の向きを変えなければなりませんが。

 

15:23到着の「ライラック10号」はL-901試作車編成でした。車体側面の形式番号の写りが悪くて残念です。

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クモハ781-901

パンタグラフは電動車ではなく、付随車と制御車に搭載されます。すでに量産車化改造済で、特徴的な非常用窓はなくなっていました。かつて特急形車両や東海道新幹線0系には非常用脱出扉がありましたっけね。上から3枚目、4枚目の画像の、キロ80とキハ80には残されています。

連結器は自動連結器から密着自動連結器に交換されています。新製された特急形先頭車で制御電動車(クモハ)となったのは781系が最初だとか。もっとも新幹線0系は昔からですが。

 

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サハ780-902

便洗面所は付随車、制御車に設置しています。洗面所窓が開いているのは何故?

2号車のみ指定席。特急形としてはグリーン車のない特異な系列です。後の785系も、789系1000番代もその伝統を受け継いでいますが、指定席車のuシートグリーン車並の設備なのでお得感はあると思います。

 

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モハ781-902

着雪による障害を極力減らすために、通常なら床下に設置される発電ブレーキ用の抵抗器が屋根上に搭載されています。

 

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サハ780-901

この当時、まだ在来線特急に禁煙車はなく、全ての座席に灰皿が付いていました。新幹線のみ、博多方先頭車の1両(自由席)だけが禁煙車だった時代です。東北新幹線は未開業です。喫煙者でも、新幹線に乗る時は禁煙車、という人もおりました。

 

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モハ781-901

 

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クハ780-901

床下がこれだけ雪まみれな状態でも、定時運行ができるというのは流石に北海道仕様車だけのことはあります。

 

こんないい加減な車両写真は次回も続きます。乞う落胆。

 

昭和57(1982)年1月3日 札幌駅

ちょっとボケ気味の車両写真

札幌駅で形式写真・・・っぽい車両写真を撮影しましたが、なんかピシッとしていない仕上がり。その残念さを共有して下さい。

函館発、山線経由で旭川行きの121列車です。

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オハフ33 1031

オハ35 282を緩急化した車両。そのオハ35 282は旧スハ33931で、オハ35に改形式後、戦前に混雑対応を目的にセミクロスシート化されてオハ40 43に改形式。戦後、クロスシートに復元されてオハ35 282に戻されました。1000番代はTR23を履いています。

 

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スハ43 702

本州版スハ43を北海道仕様に改造したもので、最初は500番代とされたものの、オリジナルの500番台の中に紛れ込んで紛らわしいということなのか、数年で700番代に改番されました。しかしながらオリジナルの500番台車の多くは早期にオハ46やオハ47に改形式されており、北海道仕様の500番代との番号重複はなかったので、500番代のままでも実質的な問題はありませんでした。

 

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オハフ62 13

鋼体化客車。古~い木造客車の台枠を流用して戦後、大量に製造されたオハ60系グループで、オハフ61形式の北海道版です。

 

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スハフ32 389

狭窓が古さを感じさせます。昭和15年製で、当初の形式番号はスハフ34400形式スハフ34690。スハフ32形式は二重屋根の旧スハフ34200形式と丸屋根の旧スハフ34400形式、それと最初からスハフ32形式として誕生した三つのグループからなっており、スハフ32 1~98までは旧スハフ34200形式、99~396が旧スハフ34400形式、397~409が当初よりスハフ32形式です。

 

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オユ10 2563?

多くの客車列車には郵便車や荷物車が連結されていました。残念ながら旧客タイプの郵便車は目撃していませんが、合造車のオハユニとかスハユニなら撮影しています。オユ10に優等車両でもないのに冷房装置が搭載されているのは、郵便職員が作業で汗だくになって郵便物を汚すおそれがあるからという理由だそうです。

 

アップできる画像の容量を抑えるためにも、本日はここまでです。

 

昭和57(1982)年1月2日

お馴染みの札幌駅東側で

かつてよく撮影していた札幌駅の東側で、短時間ながら久々にカメラを構えました。真冬なのでジッとしていると寒かったはずなのですが、そういう記憶が全くないのは、若さ故に寒さをあまり感じなかったからでしょうか。でも年を取ると気温の変化にも鈍感になるってゆーしな。一体どっちなんだ。

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15:15 かむい10号

街へ買い物に出たついでの撮影だったようで、夕方です。711系で「急行」の列車種別を見ると、なんだかジーンとしてしまうのは、歳を食ったせい?近郊形車両での急行運用。形式だけ見ると遜色急行ですが、実際、165系や457系などと比較してもサービスに遜色はありません。

 

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15:18 835列車 ED76 508

旧型客車置き換え用の50系51形客車は、オハ51形式62両、オハフ51形式68両が出そろっていました。

 

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15:19 上り「おおとり」

2両目キロ80、3両目キシ80というこの編成、時刻表に載っている編成表と違っているのは何故?後ろ2両は北見止まりの編成ですが、時刻表の編成表ではこれが頭(函館方)に付くことになっています。頭に付くには向きが逆だし。何やこれ?

 

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15:30~31 ライラック10号・ライラック9号

ライラック」同士の並びは残念な結果に。この辺りからやたら流し撮りをしています。

 

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15:36~37 おおぞら4号・まりも53号

石勝線・根室本線の特急と急行。「まりも51号」は帯広止まりで、「まりも53号」は釧路までの運用でした。滝川回りの急行「狩勝」もグリーン車付きで2往復が健在だった頃。

 

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15:50 1751M

赤2号の色が紫がかっているのは、ネガの黄変化によるもの。

 

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15:51 832列車 ED76

まだ旧客が活躍していました。釧路には50系は配備されていませんでした。

 

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15:53 下り「おおとり」

上り「おおとり」と編成の違いを確認したいのに、流し撮りをしたので編成がさっぱり分かりません。しかも流し撮り、失敗してるし。

 

晦日に1時間足らずの撮影でしたが、奇妙な編成の上り「おおとり」がちょっと気になります。

 

昭和56(1981)年12月31日

「北海」を降りて

年末帰省では、函館から特急「北海」に乗車して09:22、札幌駅5番ホームに到着。折しも「北斗4号」(3番ホーム09:42発)と「オホーツク3号」(4番ホーム09:28発)が並んでおりました。

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横に動くものを、縦走りのフォーカルプレーンシャッターカメラで撮影すると、垂直線が斜めに傾くのですが(今時のCMOSイメージセンサー使用のカメラ・ビデオカメラでも同様)、この写真ではまだ列車の速度が遅かったせいか、ほとんど目立ちません。でもほんの僅かだけ左に傾いています。

 

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1番ホームからは室蘭行きの「ライラック4号」が発車しました。

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09:30 ライラック4号

 

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09:34

入れ違いに「ライラック3号」が室蘭から到着。札幌~苗穂間では「3号」と「4号」がすれ違うことに気づきました。パターンダイヤなので、他の「ライラック」も同様ということ。ところで、この当時、「ライラック」は東室蘭~室蘭間も特急扱いでした。

 

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「北海」「ライラック3号」

「北海」はこれから回送列車となって札幌運転区に引き上げるので後部標識灯を点灯していますが、前部標識灯も点灯したままです。「ライラック3号」はスイッチバック旭川へ向かいます。

 

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09:38 2番ホームを上り貨物列車が通過してゆきます。結構、長い編成です。

 

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09:42 ちとせ1号・えりも1号

ライラック3号」を追いかける様に、洞爺・室蘭からの「ちとせ1号」と様似からの「えりも1号」の併結列車が到着です。急行列車が庶民にとって優等列車であった時代です。

急に前に立たれたのでは避け様がありません。ちゃんちゃん。

 

昭和56(1981)年12月30日

冬の帰省

就職1年めの年末帰省です。清水から東京までは在来線で、上野からは「はつかり11号」で青森へ向かいました。

早朝の清水駅。東京行きの普通列車を待ちます。12月から2月にかけて、静岡県の平野部は晴天日が多く温暖で、コートは不要です。でも、北海道に帰省するにはそういうわけにもいかず、着込んでいます。

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07:12 あさかぜ4号 EF65 1109

清水駅をこの角度で撮ったのはこの1枚キリ。

 

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07:14 427M(沼津発、浜松行き)

113系の若番。窓越しに朝日を入れてみました。

ジャケットやコートを着ている人がいますが、私は清水在住中、通勤時にコートを着たことは一度もありませんでした。水たまりに氷が張った日は何度かありましたが、コートを必要とするほどではありませんでした。

 

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07:16 上り貨物列車 EF66 20

20号機は、JRになってから話題の機関車になりました。

 

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07:20 下り単機 EF60 102

後期形の車体構造はEF65に引き継がれました。

 

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07:21 上り貨物列車 EF60 56

EF70初期型と似た顔を持つEF60の前期形。

この後、東京までの車内ではぐっすり寝込んでしまいました。前夜には中島みゆきの「オールナイトニッポン」を聴いて、その後年賀状を書こうとするも1枚も書けず、就寝は午前4時、起床は午前6時。2時間の睡眠じゃあ眠くなりますわ。

 

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東京駅 はやぶさ EF65 1116

東京駅で荷物をコインロッカーに預けると、新宿西口のヨドバシカメラに向かい、フィルム、カセットテープ、電池などを調達します。買い物を済ますとすぐに東京駅に戻り、昼食を済ませてから上野へ移動しました。

 

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13:03発 あいづ

 

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13:07 あずま2号

福島発の急行列車です。

 

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ボンネットの「ひばり15号」と並びます。

 

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その「ひばり15号」の横には4本もの特急列車が並んでいます。どーよ。

 

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13:53 みちのく

はるばる青森から常磐線経由の「みちのく」が到着。583系を昼行列車に使用するのは、利用する立場からすればあまり有難くはありません。空いていればまだいいのですが、満席状態はちょっとキツイ。

 

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14:32 青森行きの「みちのく」が17番ホームに入線。すでにお隣の18番ホームに上り「みちのく」の姿はありません。

 

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そして乗車するのは15:30発の「はつかり11号」。車内録音をいい座席でするために、発車の2時間半前から並んで待っていました。その間、あまりウロウロするわけにもいかず、立ち位置近くで撮影した他に、本を1冊読んでしまいましたよ。乗車は自由席車の先頭車、クハ481-1507。まさに帰省にはおあつらえな車両。

隣のEF80 29は15:13発の平行き425列車。

 

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19番ホームは15:06に到着した「まつしま4号・ざおう2号」。「まつしま4号」は仙台発、「ざおう2号」は山形発で、両列車は福島からの併結運転で、それぞれの編成にグリーン車が組まれていました。ただし「ざおう2号」と、郡山~上野間の運転は季節臨となっていました。455系・457系は東北本線常磐線の急行運用で活躍していました。

 

とまれ、青森までの車中では、車内アナウンスをいい感じで録音できて大満足でした。

 

昭和56(1981)年12月29日

白糸川橋梁 続き

前回の記事からの続きになります。

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14:49 下り荷物列車 EF58 128

EF58の運転室窓がどんどんHゴム化されて、ファンはプンプンに怒っておりました。まあ確かにHゴムの窓では品格が落ちる様に見えますが、それで61号機は最後までHゴム化されなかったのでしょうかね。(60号機は、された。)

また一部の車両は下枠交差型のパンタグラフに載せ替えられ、ファンのぷんぷん度は更に上昇したとか。血圧注意な。

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大型庇付きの62号機ですが、パンタグラフは下枠交差型のPS22を搭載。従来のPS14が底をついたという理由で載せ替えられた模様。ウィキによれば15両が存在したとか。

 

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15:05 下り貨物列車 EF65 28

貨物牽引機としてはEF60、EF65EF66が大活躍中でしたが、区間貨物にはEF15も生き延びていました。東海道本線は、これら機関車の番号収集にはもってこいでした。

 

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15:13 8522M

伊豆急下田発の臨時快速列車。元修学旅行用の167系を使用。

 

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15:15 下り貨物列車 EF65 76

コンテナ貨物は主にEF66が担当していたような気がします。

 

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15:42 踊り子16号

 

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15:45 踊り子17号

「16号」の185系との並びを期待しましたが撃沈。

 

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15:50 東海3号・ごてんば3号

4両目、5両目はグリーン車のサロ165ですが、4両目にはまだグリーン帯が残っています。急行列車のアクセントとなっていただけにグリーン帯の廃止は残念でした。

 

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15:55 793M

駅に戻る途上で。碓氷峠の写真で、こんな感じの構図を見た気がします。

 

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16:05 864M

残り少なくなった153系による定期列車。撮影後、急いで駅へ向かいました。

 

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16:09 329M(静岡行き、自由席グリーン車付き)

小春日和の中で、思う存分にシャッターを切って無事に帰宅です。思えば、ここで下りのブルトレを撮ったことはありません。夏至の頃なら「さくら」「はやぶさ」「みずほ」までなら難なく撮影できるのですが、そこまで入れ込むほどに思い入れは強くなかったのでしょうねえ。あ~もったいない。

 

昭和56(1981)年10月4日