ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C58 110

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年6月25日 高松機関区

除煙板に点検口がないので原型に近いのかななんて思っていたらとんでもありません。

キャブ前窓は張り出しており、明り取り窓は丸から角へ改造されています。

ドームの前には吊り手のような手摺が加えられており、砂撒き管が1本増設されています。

キャブ側面に目を向けると、ナンバープレートはタブレットキャッチャーの下に付いています。(鳥取区の72号機なども。)

 

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昭和43(1968)年6月25日 讃岐津田駅

列車は高松方面に向かっているようです。撮影順序としては、この後に高松機関区に立ち寄ったのかもしれません。・・・と思いつつ煙突を見ると、回転火の粉止めを装着しています。しかし、これが1枚目の画像では付いていません。撮影日が違うのかな?

車歴は↓こちら。

C58110 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

C58 109

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和32(1957)年3月5日 飛騨小坂~渚

豪雨に伴い線路へ落石。そこに乗り上げた機関車が脱線。もしも反対側に倒れていれば、10m以上も下を走る県道へ落下し、大惨事になっていたかもしれません。後方の操重車(稲沢機関区)が今まさにクレーンで機関車を吊り上げ、立て直ししようとしています。(炭水車は撤去済のようです。)この10年後にはほぼ同じ場所で、キハ58系の上り急行「こがね」が類似の事故により12両編成のうち6輌もが脱線していますが、やはり道路へ落ちずに済んでいます。

 

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煙室下のエプロン、向かって右側が型崩れ?を起こしています。

 

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昭和42(1967)年10月22日 高山機関区

「汽車會社」のメーカーズプレートが燦然と輝いています。10年前の脱線事故では、こちら側のキャブが擁壁にしなだれかかる格好になっていました。

 

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昭和43(1968)年9月28日 高山機関区

1年後の姿になりますが、くるくるぱーと後部標識灯が外された以外、特に変化はないようです。あ、先輪すぐ前にある筈の排障器がなくなっている。

車歴は↓こちら。

C58109 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

C58 108

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和42(1967)年6月30日 高山機関区

 

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昭和43(1968)年2月10日 沼津機関区

車歴は↓こちら。

C58108 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

高山区での画像は、沼津区へ異動される直前の様子のようです。そして沼津区での画像を見ると、機関士側のみ除煙板が切り詰めされています。そして追加設置された手摺は北海道機のようなコの字ではなく、通常の1本棒です。車歴表によれば入換専用機とのことなので、それに合わせて措置だったのでしょう。入換機らしく、前端梁はゼブラ塗装となっています。

それにしてもシリンダーや足回りが白っぽく薄汚れているようです。

 

ところで、車歴表では昭和42(1967)年7月2日付けで沼津区へ転配されたことになっていますが、7月15日現在、まだ高山機関区にいたようです。

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昭和42(1967)年7月15日 高山機関区

 

実際と書類上との食い違いは珍しいことではないと思いますが、何かモヤモヤしたものが残ります。

C58102とC58105

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年6月30日 高崎第一機関区

車歴は↓こちら。

C58102 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

前回の100号機とそっくりな画像ですが、照明用配線の取り回しに違いが見られます。

ナンバーの102の「1」が妙に太く、手造り感があって好ましく思います。

 

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昭和43(1968)年3月 大分運転所

 

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昭和46(1971)年2月17日 大分運転所

車歴は↓こちら。

手入れが行き届いている105号機。噂に他這わず、九州の機関車は綺麗です。

2輌しか存在しないK-10タイプの門デフ装備車で、この姿でお召列車を牽引しています。

磨き出された手摺類には品を感じますが、これも整備にあたる現場の人々の苦労の賜物でしょう。

キャブ出入り口には、手摺を兼ねた雨水用の縦樋が取り付けられています。C58ではキャブ側面に雨樋を設けおらず、写真を見てもどのように排水処理をしているのか分かりません。手摺兼縦樋は、350号機や351号機などにも見られます。

一番下の写真にはリンゲルマン濃度計が写っており、4種類の濃淡がはっきりと確認できます。

C58 99とC58 100

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年3月15日 遠江二俣機関区

車歴は↓こちら。

C5899 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

正面のナンバープレートが右下がりに傾いて見えるのは気のせいでしょうか。

 

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昭和43(1968)年6月30日 高崎第一機関区

車歴は↓こちら。

C58100 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

珍しく、前照灯の向かって右側に後部標識灯を装備しています。

兄弟機だからなのかどうかは分かりませんが、煙室扉のハンドルが両機とも十字タイプです。また両機ともそれぞれの運用区間で補機運用にも就いていたようです。高崎第一区のC58は八高線の寄居→倉賀野間で、遠江二俣区のC58は二俣線の金指→豊橋間と金指→掛川間になります。二俣線の方は、DE10に代わってからも貨物列車は重連運転を行っていました。

それにしてもC58の顔はホントD51に似ていますね。

C58 98

田中 泰三様と江別の鐵様の画像の転載はご遠慮ください。

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昭和48(1973)年8月1日 原生花園駅付近

観光シーズン中に開業する「原生花園」駅は、画像のすぐ左側にあります。この日はあいにくの雨でしたが、多くの観光客がバスで乗り付けていました。撮影場所を探して画像に写る国道を網走方面に歩いてゆくのですが、道路には雨に誘われたミミズが大量に這い出ており、人や車に踏まれまくっており、ちょっとした惨状を目の当たりにしました。

 

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昭和50(1975)年3月 網走駅

グリーン車や寝台車を含む編成は、夜行急行「大雪5号」です。撮影可能な時間帯を走る下り列車は、北見~網走間では普通列車扱いだったので「大雪崩れ」などと揶揄されていましたが、外見は急行列車そのものなので、多くのファンが日本最後の蒸機牽引急行列車の姿をカメラに収めていました。

 

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昭和50(1975)年3月 緋牛内~美幌

 

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昭和50(1975)年4月 北見機関区

 

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昭和50(1975)年11月 桜山レジャーランド

 

車歴は↓こちら。

C5898 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

他の形式に対して、その人気は決して高い方ではなかったものの、特定の路線ではその沿線風景にマッチした姿が人気を博していました。そのひとつが釧網本線のC58でした。JR化後は「くしろ湿原ノロッコ号」「流氷ノロッコ号」「SL冬の湿原号」などの観光目的の臨時列車が運転されるほど、自然風景を満喫できる沿線風景には人気があり、そうした中を黙々と走る蒸機列車に、蒸機ファンが飛びつかない訳がありません。

釧網本線のC58は完全な北海道仕様で、とりわけ目立つのが、左右の除煙板をアーチ状に結ぶ「ツララ切り」でしょう。冬期間、トンネル内に垂れさがるツララをこれで破砕し、キャブ窓を守ります。

除煙板は切詰めされ、フロントデッキにはコの字型の手摺を追加。除煙板の点検口の蓋は、保存の際に撤去されたようです。

運用されるのは非電化区間のみなので「架線注意」札の取り付けは無く、補助灯はLP405ではない簡易的なもののようです。その補助灯も保存の際に撤去されました。

旋回窓は機関士席側のみで、助士席側は防護網のみ。

画像ではちょっと分かりにくいですが、ドーム前の手摺は一般の扇形とは異なる形状です。

廃車後、深川市にある「桜山レジャーランド」で「SLホテル」として寝台車・食堂車の3輌と共に保存されていましたが、ホテルの廃業に伴いメンテはおざなりにされて客車は倒壊や劣化により解体。C58 98のみが保存されてはいるものの、部品の盗難や損壊が見られるようです。近くにはD51 312も保存されていますが、レジャーランドの施設は撤去済で当時の面影は失せ、「桜山公園」として生まれ変わり、パークゴルフ場を備えた市民の憩いの場となっているようです。

C58 87とC58 88とC58 92

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年10月3日 西舞鶴機関区

車歴は↓こちら。

C5887 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

舞鶴駅はないのか?と思ってウィキを覗いたら、西舞鶴駅の旧称が舞鶴駅でした。行政との絡みで駅名も変更されます。

逆転機が思いっきりバック状態です。キャブには機関士の姿が見えるので、点検中なのかもしれません。

それにしても煙室扉のナンバープレートの位置が、異常に高いです。

 

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昭和43(1968)年6月25日 三本松駅

 

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昭和43(1968)年6月25日 徳島駅

車歴は↓こちら。

C5888 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

高徳線で貨物列車を牽引する姿と、徳島駅に到着後の姿のようです。

多度津区時代の集煙装置をそのまま装備。

 

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昭和45(1970)年9月25日 新見駅

車歴は↓こちら。

C5892 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

芸備線管理所のC58は伯備線にも顔を出していたのでしょうか。新見区のC58は集煙装置を装備し芸備線にも入線していましたが、芸備線管理所のC58に集煙装置はありませんでした。新見機関区は岡山鉄道管理局で、芸備線管理所は広島鉄道管理局の管轄でした。