ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

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田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和46(1971)年2月18日 真幸駅

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D5179

画像が廃車体の1枚だけで、しかもナンバーの確認もできませんが、その点はご容赦を。画像でナンバーは確認できないものの、真幸駅に留置してあった事実は比較的有名だったようで、ネット上でもそんな記事を見つけることが出来ます。79号機の特徴は、フロントの先輪バネカバーの上にコンクリートの死荷重を載せていること。2号機のようなペラペラではなく、12号機や65号機のように分厚いもの。いかにも空転防止用といった重量感はありますが、こうした措置がほとんど普及しなかったのは、ナメクジの運用はある程度限定されていたのと、乗務員の運転技量によって空転を阻止できたからではないかと推測します。雑誌「蒸気機関車エクスプローラー」をお持ちの方、そんな記事は載っていないでしょうか。

真幸駅といえば、吉松~人吉間の険しい山中に設けられた、大畑駅と並ぶスイッチバック駅です。79号機が留置してあるホームは、現在は線路が剥がされて単なる盛土のような状態になっています。(と、ネット上の画像を探して得た結論。)先に伸びる線路は行き止まりとなっており、乗車した列車の左側に乗降用のホームがあります。前方が人吉方面ですが、そこへ向かうには列車はバックで本線へ戻り、そこから画像の左側を上り急勾配で進みます。吉松へはバックしたまま向かいます。

「真の幸せ」という駅名とは裏腹に、近隣での痛ましい轢死事故や、大きな自然災害を受けた駅です。

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藤田 慶二様と田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和43(1968)年2月6日 米原機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D5173

72号機に引き続き、入換専用機となった73号機です。吹田第一機関区の車が何故、米原区に居るの?もしかすると米原区ではないかもしれません。

煙室前端は丸味のない角付きに改造され、フロント部の手摺は1本棒の72号機よりも充実しており、いかにも入換専用機たる風情を醸し出しています。

煙突が短くなっていますが、回転式火の粉止めを載せていたからでしょうか。

蒸気機関車の角度」の写真を見ると、以前は前照灯にシールドビームを付けていたようです。

ナメクジのドームカバーですが、手作業の板金で形状を仕上げていたでしょうから、1輌ごとに寸法に差異があったでしょう。汽車會社製のものは煙突前部の舳先のカーブがきついという話は以前に記載しましたが(73号機は川崎車輛製でカーブは緩めですが、同じ川崎車輛製なのに72号機ではきつめ)、他にも煙突の円形がはっきり現れている形状のもの(70号機や72号機など多数)がある一方で、73号機のように煙突がドームカバーに溶け込む形状があるなどの違いも見られます。デザイン的にはともかく、製作工場としては、機能的にほとんど意味のないこうした工作に対してどんな思いを抱いていたのでしょう。

公式側の写真がないので確認できませんが、入換専用機となったのに合わせて、一度は撤去した動力式逆転機を再装備しています。

因みに77号機も入換専用機として除煙板を外していました。

どうでもいいことですが、機関車脇に置いてある3台の荷車は、大きさが微妙に異なっています。アッシュの運搬などに使用していたのでしょうか。

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藤田 慶二様と田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和43(1968)年2月6日 米原機関区

 

昭和43(1968)年3月21日 稲沢第一機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D5172

この2年ほど前には本線仕業に就いていましたが、入換専用機となった際に除煙板を取り外しフロントデッキには手摺を設置。されど、逆転機はネジ式のままで動力式には戻されませんでした。

煙室側面に、シリンダー付近から煙突にかけて斜めに設けられた3段のステップですが、通常だと除煙板の陰になってなかなか確認し辛いものです。で、他のナメクジの画像も見てみたのですが、取り付け位置が異なっていたり(4号機など)、無い物まで結構な輌数があります。「蒸気機関車スタイルブック」などの図面には、砂撒き管の中央部にステップは描かれているものの、煙室部にはありません。ということは、煙室部のステップは後付けされたものなのでしょうか。

逆転機先端部のカバー形状はちょっと特徴的かと。ネジ式に交換した際に、その工場ごとにこしらえたものでしょうか。

安全弁の後ろ側に、L字形のパイプ状のものが2本、キャブ屋根まで伸びているのですが、これは一体、何?んで、「昭和の軌跡 蒸気機関車 パーフェクトBOOK」(KKベストセラーズ)のDVDに収録されている3CGを見てみると、発電機(出力500W)とATS用タービン発電機(出力100W)からの排気管とのこと。これまでのナメクジでは見かけなかったものなのに、なぜに72号機にはあるのでしょう。101号機以降の標準形ではちょこちょこあるようですし、他の形式でも普通に装備しています。模型屋さんにとっては当たり前の部品だったかもしれないので、またまた私の無知ぶりが露見した形となっていましたが、しかしながら北海道機ではまだ確認できておりません。

因みにこの3CGでは前回疑問だった石炭散水管も表現しています。散水は機関助士席から行っていました。これからちゃんと見よ~~~っと。

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田中 泰三様とSAMPUKU爺様と江別の鐵様の画像の転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年8月5日 小樽築港機関区

車歴表には除煙板の切り詰め改造はこの年の3月8日とありますが、その5か月後でも未施工です。短期間だった3灯時代はC62だけではありませんでした。清缶剤送入装置がキャブから随分と前寄りに置かれています。窓からの見通しはかえって悪いのでは?

 

昭和47(1972)年6月14日 苗穂機関区

炭水車側面の上側には、幾つもの突起物があります。何でしょう?

 

昭和49(1974)年3月 鹿ノ谷駅

清缶剤送入装置は撤去されています。

4点支持の四面折れスノープラウは、おそらく68号機と同じタイプだと思います。

68号機と同じ日立製ながらも、正面ナンバープレートは68号機より少し下に付いています。形式入りだった頃には同じ高さだったでしょうね。

 

モーションプレートの凍り付きが半端ありません。炭水車の台車もなかなか。

 

昭和49(1974)年12月 追分機関区

キャブ前窓の庇が上向きです。あまり見かけないタイプです(笑)。

密閉キャブではありませんが、カーテンを張って防寒しています。運転中にめくれ上がったりしないのでしょうか。

キャブ屋根から後方に突き出た骨組み。これが何のためのものなのか、どうにも分かりません。最初、屋根上の換気蓋の開閉に絡むものなのかと思っていましたが、全ての機関車に付いている物ではありませんし、構造的にちょっと不自然なようにも見えます。

機番不明(55号機かも) 昭和47(1972)年8月6日 苗穂機関区

今更ながら、キャブ密閉化に伴う、炭水車妻面の三面折り改造の様子が分かる画像ですが、肝心の注目点は屋根後方から飛び出た骨組みです。70号機よりも更に突出しているようです。密閉化されていないキャブやC57でも一部の機関車には装備されていますし、北海道独自のものでもないようです。構造がよく分かる写真はなかなか見つかりませんし、精密模型を製作する人たちはどうやって資料を集めているのでしょう。

追記:江別の鐵様より早々に連絡がありました。「それ、石炭散水管だよ」と。石炭は塊の状態くべるのが理想なのですが、細かい粉、つまり粉炭が必ず混じっており、それは風で飛散して環境上よろしくありませんし、石炭のロスにもなります。また火室内でも十分に燃焼されぬまま煙突から排出されることもあり、全くの無駄になってしまいます。そこで水を撒いて粉炭を塊炭に付着させることによって飛散を防止し、燃料ロスも解消できます。ただし、この散水管は必ずしも備わっているわけではなく、どういう基準で設置していたのかは不明です。また、キャブの中には様々な部位へ水を送るための水まき装置が備えられており、石炭散水もそのひとつです。いやあ、勉強になります。江別の鐵様、ありがとうございました。

昭和50(1975)年9月7日 清水沢~鹿ノ谷

「SL夕張応援号」が走った時にファンが群がった稚南部(わっかなんべ)トンネルの夕張方です。複線時代の名残で、セキ車の陰には廃止された初代トンネルが顔を出しています。空車とはいえ、上り勾配を淡々と進む70号機にちょっと拍子抜け。

茨城県つくば市にとても良好な状態で保存されているようです。ただし、少なくとも正面のナンバープレートは、現役時代のものではないようです。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D5170

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田中 泰三様の画像の転載はご遠慮ください。

昭和47(1972)年6月16日 滝川機関区

 

昭和49(1974)年12月18日 滝川機関区

 

昭和50(1975)年10月26日 滝川機関区

 

昭和51(1976)年3月4日 小樽築港

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D5168

画像では分かり辛いのですが、スノープラウは四面折れで、取り付け方も前端梁前面2カ所の他、前端梁の裏側の方でも「S」状の金具を用いて2カ所で固定しています。四面折れは、ステップとの干渉を避けるためでしょうか。次回掲載予定の70号機と同様の構造かと思います。

ナンバープレートに着目すると、正面と機関助士側面とでは書体が異なります。「1」以外はみんな違っています。製作工場は別なのでしょうか。他の2枚はどうなっているのでしょう。68号機は岩手県に保存されているので、訪問の機会のある方は是非、確認してみて下さい。もっとも、それが本物のナンバープレートであるという保証はありませんが。

「日立」のメーカーズプレートは、下の小さい文字が潰れていて読み辛いです。「No.868 日立」までははっきりしており、その後は潰れているものの「No.868 日立製作所?? 昭和十二年」とまでは判断できそうです。

廃車後の画像では、煙室扉の下部がただれた様になっています。一体、何があったのでしょう。保存機の写真を見ると特に異状は見られないようなので、手直ししたのかもしれません。

ナメクジドームの非公式側中央付近にはボッコリと穴が開いています。何なんでしょう、これは。

炭水車側面が白くなっているのは、アジテーションのゲバ文字を消した跡。今の時代なら萌え系ラッピングで人気激増を狙えるかも。

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SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年3月26日 亀山機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D5165

フロントにはコンクリートの死荷重を載せ、ボイラーには重油タンクを載せ、除煙板に点検口はなく、ランボードと缶胴の接触部にはカバーを維持し、逆転機も動力式を維持しているという、原型+非原型っぷりが半端ありません。

しかしこの機関車の異質ぶりはそんな外観的なものには留まりません。第四動輪後方、空気圧縮機の直下に見える空気シリンダ。これこそが65号機を特別なものにしています。その特別な機能とは「軸重可変装置」です。C61やC62も軸重を変えることができますが(軸重を軽減することで入線可能な運用を拡大する目的)、それには工場でピンの位置を変えるとか何とかという手間のかかるやり方なのですが、この65号機は運用中に軸重を可変できます。キャブ前方の円筒形のものは圧縮空気ダメでここからシリンダに空気送り込んで操作します。

しかしちょっと疑問なのですが、この装置を搭載するにあたり、この65号機は加太越などの峠路に試用されたといいます。加太越のD51と云えば、重厚な集煙装置を載せた無骨な姿を連想するのですが、そこに集煙装置を載せられない65号機を何故に試用とはいえ運用に充てたのでしょう。軸重可変装置が空転防止に効果があったところで、集煙装置のない65号機では乗務員を煤煙の苦痛から解放することはできません。軸重可変装置機関車が65号機1輌だけに留まったということから、この装置は研究レベルのものだったような気がします。そして実際のところ、効果の程はどうだったのでしょうね。重油専燃機関車がその効果が認められたのにもかかわらずC59形式127号機ただ1輌で終わってしまったように、蒸気機関車では軸重可変装置も全く普及しませんでした。しかしこの装置は後にDD51、ED77(ED93)、ED78(ED94)、ED76など、中間台車を有する機関車に搭載され、活用されることになるのでした。

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田中 泰三様の画像の転載はご遠慮ください。

昭和47(1972)年6月13日 小樽築港機関区

車歴は↓こちら。

正面ナンバープレート直上には電池式補助灯の灯具掛けがありますが、隙間なくべったりと窮屈そうです。

煙室扉回り、向かって左側の手摺は下方に少し長めに飛び出しおり、しかもキレイなアールではなく、ちょっと歪んでいるようです。

歪んでいると云えば、煙室扉の二つの取っ手は、どの機関車も左右で高さが異なり、向かって右側の方が高い位置に見えます。

キャブ出入り台の手摺が屈曲しているのは、タブレットキャッチャーとの干渉を避けるための措置だったのでしょうか。

炭水車背面の左側ステップですが、北海道では斜めに丸棒を添えて補強している機関車が多いように思います。

炭水車の形式プレートが外されていますが、「6-15-20」と記されたものが貼られていました。

昭和46(1971)年11月23日 苗穂工場

なんかどうでもいい写真ですが、炭水車の形式プレートの証拠になります。

石炭6トン、重油1500リッター、水20立米の積載になります。重油タンクを3000リッターのものに交換したと車歴表にはありますが、残念ながらこの画像ではそれは分かりません。3000リッターの場合だと「4-3-20」なのですが。