matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮下さい。
昭和41(1966)年8月19日 岡山機関区
パイプ煙突ながら、LP42に形式入り番号板、キャブ裾は切り上げず、炭水車は増炭枠無しの古いまま。石炭の積載量は3.25トンのままでしょうか。入換機だったのでしょうか、前端梁にはゼブラマークが。古い形式でよく見かける、煙突横下にぶら下がるドーナツ板。これは一体何なのでしょう。麦わら帽子のツバでないことだけは確か。元空気ダメの円筒管がいささか外側へはみ出しているようです。車両限界には引っかかっていないのでしょうけど。キャブ前窓の庇は申し訳程度の大きさですが、これで日除けの効果はあったのでしょうか。ま、もともとは付いていない物でしたが。「架線注意」札はありませんね。
昭和42(1967)年5月31日 東和歌山駅(現 和歌山駅)
和歌山機関区に転属して間もなくの頃になります。ランボードの白線は和歌山区に来てからのものでしょうか。「架線注意」札はありませんが架線の下です。煙突が幾分短いように見えるのですが気のせいでしょうか。こちら側のキャブ裾もオリジナルの長さを保っています。炭水車の背が低いので、前照灯が見えますね。公式側に比べると缶胴側面がスッキリしており、スマートさが浮き立っています。
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