ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

別カメラで笹島駅

この当時使っていたカメラはミノルタのX-70とX-500の2台でした。X-500はXDの後継として導入したもので、X-70と同じモードラを装着し、下手な写真の量産に励んでおりました。(笑)前回の笹島駅はX-500で撮影したもので、今回のはX-70によるものです。それにしてもだいぶ前にも記しましたが、X-500の印象はほとんどありません。

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義経号と新幹線。イギリスやアメリカ・ドイツから機関車を輸入していた明治時代と、世界に誇る新幹線を自力で開発した昭和時代との間には、劇的な出来事が沢山ありました。

 

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お縄から解放されて機関車に群がる人々。

 

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右端が「清流ながら号」のトロッコ車。

 

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左端に写る空色の建物は住友生命ビル。この一連の写真の中で、現存する数少ないランドマークといえるでしょうか。

とまあ、これだけなんですけどね。なんか、新幹線が来るのを待ってシャッターを切っていたような気がします。

地元の人にしてみれば、笹島駅があった頃と今との違いにビックリすることでしょうね。

 

まだ陽は高いのに、この日の撮影はこれで終わっています。この後、一体何をしていたのかは、記憶の片鱗もありません。

 

昭和61(1986)年4月30日