ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

DE10一族

昨日からの流れで、今回はDE10一族の画像をペタペタしときます。

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昭和57(1982)年7月31日 15:50頃 福知山駅

入換かと。ちょっとした駅では、客車列車の着発に伴う入換が毎日行われていました。ピッカピカやん。

 

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昭和58(1983)年2月12日 岩舘駅 1730列車

五能線の客車列車。冬こそ旧客がお似合いではないでしょうか。

 

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昭和58(1983)年2月12日 17:22 東能代駅 238列車?

DE15牽引の五能線の列車。運転区間はお隣、能代までの3.9km。SG非搭載なので、客車は自前の暖房装置、石油焚きのウェバストを搭載しています。釧網本線の混合列車運用の客車も同様。

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黄色い囲みがウェバスト温風ヒーター。(新富士駅)

 

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昭和59(1984)年3月20日 多度津機関区

廃車になったDF50を撮影したついでに。機関区の事務所にポッと行って「撮らせて下さい」「あいよ、気いつけてな」で撮らせてもらえたいい時代でした。

 

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昭和59(1984)年4月28日 青森駅

分かりにくいですが、正面のナンバープレートは、前頭車用連結器をかわすように台座を設けて設置されています。

 

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昭和59(1984)年7月27日 鳥栖駅

九州のDLは、正面のナンバー部分に白帯がないのが特徴です。

 

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昭和59(1984)年7月27日 08:38 行橋駅 5481列車

鉄道雑誌のダイヤを見て撮影に来ていたようです。

 

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昭和59(1984)年8月4日 浜松機関区

一般公開日に撮影。入換用機関車なので、端梁にジャンパ栓受などが一切ありません。

 

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昭和59(1984)年8月11日 青森駅

複線用で単頭だったDE15 1505を単線用両頭形に改造したもの。番号は原番+1050となっています。

 

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昭和60(1985)年2月2日 富山駅

DE11は本線を走る機会がなかなかないため、駅や操車場、機関区といった場所でしか見ることができませんでした。

 

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昭和61(1986)年4月30日 笹島駅

貨物駅である笹島駅。愛知県に鉄道が開業して100周年を迎えたのを記念して、C56 160 牽引による「1世紀号」が木曽川武豊間で運転されましたが、同時に笹島駅では各車両の展示が行われました。「清流ながら号」は高山本線で運転されたトロッコ列車です。

 

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昭和63(1988)年10月22日 新鶴見操車場

ヤード廃止により、ここ新鶴見操車場でも大量の機関車が廃車となりました。DE10、DE11、DD13。ついでとばかりにEF62も大量に留置されていました。

 

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平成元(1989)年11月11日 樽見鉄道 本巣駅

前身は国鉄車ではなく、衣浦臨海鉄道のKE65 5。勿論、DE10のコピー機です。

 

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平成10(1998)年12月5日 11:10 深川←納内 試9490列車

ノロッコ号用のDE15 2516。後に除籍され苗穂工場で入換機となり、そのうちDMV塗色となりました。

 

DD51ほどの華やかさはないものの、全国各地で活躍し、旅客・貨物・事業用と多用途に運用されてきた功績は、DD51に引けを取らないでしょう。因みに、臨時ながらブルトレお召し列車の牽引実績もあります。