ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

EF55復活

電気機関車のくせに、終点では転車台を使っていちいち向きを変えねばならなかったEF55。流線形という当時の流行に乗って運転台をそれっぽくデザインしたのだけれど、両端とも流線形では編成としての見栄えが良くないので片側だけ流線形を採用。軸配置も非対称の2-C-C-1。切妻側の運転台を正面にしての牽引も実施されたようですが、写真で見たことはありません。蒸気機関車のバック運転を思わせます。戦前に3両だけ製造された悲運の機関車。かと思いきや、保存されていた1号機が奇跡の復活。これは是非とも見ておかねば。

とはいえ、上越線はとんと不案内。でもまあ、車窓からロケハンすれば何とかなるっしょ。

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06:12着 上野駅7番線 あけぼの2号

隣の8番線の列車は「ゆうづる4号」。東北・上越新幹線の開業後も、ブルートレインは存置されていました。

 

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高崎駅 軽井沢リレー号

高崎~中軽井沢間で運転されていた臨時普通列車

上野からの列車内は、途中からドッと乗り込んできた女子高校生群がピーピーと喧しかった。色気も何もあったものではありません。高崎止まりなので、ここから乗り換えます。こちらの列車には三脚を持ったそれと分かる同業者の皆さんの姿がちらほらありました。

 

さて、この時は地図がなかったので、全くのロケハン頼みでした。地図どころか、実は臨時列車のスジも定かではありませんでした。用意不周到です。棚下トンネルを抜けると、右手の山に伐採地が目に飛び込んできました。あそこでいいんでないかい。急いで下車する準備をして岩本で降りました。目印のダム方面に向かいます。どう行くかはカン頼り。多少迷いながらも、何とか目的地に到着。しかし何やら工事現場のようです。休日だからか、誰もいないし立入禁止の看板も見当たらないし、せっかく来たし、なので、えいと無断侵入。う~ん、ちょっと霞んでいるな。ま、いっか。

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10:50 津久田←岩本 740M

上越線に平行するのは国道17号線です。川は利根川。ここからの写真はコントラストを少々上げています。

 

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11:05 津久田→岩本 臨時列車

後追い撮影は承知。本命は上り列車で、移動するには暑いし面倒臭いしで、ず~っと同じ場所に居座っておりました。線路際には、いいお立ち台がありますね。気になってストリートビューで見てみると、今はだいぶ草が生い茂っているようです。上がれなくもないようですが、何やら看板が立っていて、撮影が可能かどうかは分かりません。

 

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11:36 津久田←岩本 谷川4号

 

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12:52 741M・臨時列車

何だかんだで2時間、ようやく本命の上り列車がやってきました。旧客との組み合わせが素晴らしいです。

この当時は列車そのものよりも、風景の中の列車という作風に興味が強かったので、せっかくのEF55がちょっとかわいそう。この日は高崎機関区でEF55の展示会もあるので、この後、高崎駅へ向かいました。EF55復活の記念入場券を入手する目的もあったのですが、既に売り切れており、なんかそれで急速に意気消沈してしまい、結局はEF55は撮らず仕舞いで帰宅してしまいました。翌日もこの臨時列車は運転されたのですが、帰宅してからどうにも体がだるくなり、結局行きませんでした。EF55との出会いは、とうとうこの日限りとなってしまいました。せっかくのチャンスを棒に振った後悔の念が、今でもやけどの跡の様に残っています。

 

昭和61(1986)年8月2日