ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

臨時特急「平和」

臨時特急「つばめ」、臨時特急「はと」に続き運転されたのが臨時特急「平和」でした。編成は「つばめ」「はと」同様に14系ハザ+食堂車。史実にうるさいおっちゃん方は、度重なるリバイバル列車に「なんでやねん!」と14系編成にケチを付けたとか。分かります、その気持ち。でも機関車だけは文句なしのオリジナル。

昭和24(1949)年、公共企業体である「日本国有鉄道」が発足して間もなくに復活した最初の特別急行列車が「へいわ」でした。東京と大阪を9時間で結びましたが、これは昭和5(1930)年に誕生した特別急行列車「燕」と同じ所要時間でした。
戦争の荒廃から平和の復興への願いを込めてのネーミングでしたが(当時の副総裁が決めたそうです)、翌昭和25(1950)年には「つばめ」に改称され、ここにいよいよ国鉄は近代化へ向けて大きな一歩を踏み出すのでありました。

と、前置きはともかく、薄暗い曇天下の沿線でカメラを構えておりました。
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11:13 清水→草薙 325M(東京発、静岡行き)が露払い列車のようにやってきました。練習の積りで撮りましたが、全然練習にもなってません。もっと手前まで引かないとね。
で、その5分後にやってきました。
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お、仲間がおるで。

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ピンボケなので、まさに「平和ボケ」。思いっきりシャープネスかけてます。
テールサインは「つばめ」と同じく、ちょっと侘しい気がします。
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11:18 「平和」
食堂車2両を含む堂々の13両編成。14系なので電源車はありません。
戦後初の特別急行列車は「へいわ」とひらがな名で、テールサインの文字の背景には「はと」が描かれていました。これは後に特別急行列車「はと」に転用されることになります。ということで、この「平和」は「へいわ」とは、ちと趣きが異なります。

トラベルMOOKの「国鉄特急 機関車客車篇」によれば、「へいわ」の牽引機関車は東京~浜松間がEF55またはEF57、浜松~大阪間がC59とあります。C62が登場するのは「つばめ」に変更された昭和25年の秋からです。EF55はEF57と異なり蒸気暖房装置を持たないため、冬季にEF55が牽引する場合には暖房車マヌ34が連結されたそうな。たった3両きりのEF55。
また特急列車の象徴とも云えるヘッドマークは、「つばめ」に改称されてから装着されるようになりましたので、「へいわ」にヘッドマークはありませんでした。

「へいわ」の愛称名は昭和33年に東京~長崎間の特急「さちかぜ」を「平和」と改めたことで蘇ります。実はこの時のヘッドマークリバイバル「平和」のものなのです。描かれている鐘は長崎の浦上天主堂のものをデザインしたそうです。平和の象徴ということで。
しかしこの「平和」も長続きはせず、20系化されたのを機に「さくら」に改称されてしまいました。
昭和36(1961)年に、大阪~広島間の気動車特急に二代目の「へいわ」が誕生しますが、これも短期間のうちにまたもや「つばめ」に変更されてしまいました。

初代「へいわ」:3か月半(昭和24年9月15日~昭和24年12月31日)→「つばめ」
「平和」:9か月半(昭和33年10月1日~昭和34年7月19日)→「さくら」
二代目「へいわ」:8か月(昭和36年10月1日~昭和37年6月9日)→「つばめ」

という具合に、「へいわ」は長続きしないという、不穏なジンクスが出来上がったのでありました。

昭和58(1983)年7月23日